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2022年10月28日 ディボーション

  • hccnichigo
  • 2022年10月28日
  • 読了時間: 2分

エゼキエル書 9章


 この聖句を一回読んだだけで、正直、何を神様は私に伝えているのかよくわからなかった。ということで、1章からエゼキエルを読み直し、何度も、何度も繰り返し読んだ。


 神殿での偶像礼拝。エルサレムの人々が、主ではなく、バビロンやエジプトなど、他の神々に崇拝をした罪。そして主に裁かれる箇所。


 8:12エルサレムの神殿で70人の長老たちが、「主は私たちを見ておられない。主はこの地を見捨てられた。」と暗闇の中、偶像の部屋で言ったこと。そして9:9の「主はこの地を見捨てられた。主は見ておられない」という箇所。


 これを読んだどき、私の私生活での信仰を考えさせられた。神の栄光が目の前にあるのに見失う自分がよくいる。私はよく、困難や苦難に当たったとき、どうしよう、どうしたらいいかと自分で悩み考えてしまう。しかし、まずは主、イエスキリストに祈ること。私たちの信仰も、主が私にしてくださった良いことをいつも覚えて感謝すること。神様は私たちにベストな生活、仕事を下さる。焦らず真の神を覚え祈ることを習慣づけていきたい。


 恵み深き天の神様、この聖書箇所を与えてくださり、聖書と向き合う時間を与えてくださったことを感謝いたします。人々は皆、あなたを忘れ、肉で何とかしようとしてしまうことがある。そんな罪人な私たちをお赦し下さい。道に迷ってどうしていいかわからない時がある。そんな時でもあなたを常に思い、祈りを捧げる私たちに光を照らし、あなたのご計画の元へわたしたちをお導き下さい。あなたのために私の人生を捧げます。アーメン。


 
 
 

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