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2021年9月24日 ディボーション

詩篇第一巻 23篇


『主は私の羊飼い』 


 大自然と動物に囲まれて暮らすのが夢だった私が19歳の時に、人生初の海外旅行先に選んだ場所はオーストラリアの牧場。小学校時代の恩師が家族で移住して羊ファームを営んでおり、そこに6週間ホームステイする機会を与えていただいた。

 どこまで行っても終わりが見えないほど広大な地に放牧されている1000頭もの羊が、のんびりと草を食む微笑ましい光景に、癒されっぱなしの毎日を過ごした。

 トラクターに乗って干し草の準備をしたり、毛刈りを手伝ったり、羊の出産シーンに立ち会ったり、楽しくてワクワクする貴重な体験をした。


 ちょっとの音にも敏感に反応する羊たち。1匹が向こう側へ逃げていくと、他の羊たちも皆ゾロゾロついて行ってしまう。怖がりで臆病、パニックになりやすいので事故も起こりやすく、お世話をするのは本当に大変。

 おもしろかったのは、仰向けになって手足をバタつかせている羊を起こしてあげる作業だった。

 羊は、体重が重いわりに手足が細く、バランスを崩しやすい。転んだ拍子に仰向けになると、自力で起き上がれないのだ。長時間そのままの姿勢だと、窒息して死に至ることもあるので、仰向けに倒れてもがいている羊を見つけたら、体を押してゴロンと転がし、元の体勢に戻してやらなければならない。

 起き上がった時、”あぁ〜助かったぁ〜”と安堵の表情を見せる羊もいれば、”しまった、恥ずかしい姿を見られちゃった‥‥” と逃げるように去っていく子もいた。


 羊も人間も、似ているなと思う。頼りなくて弱い。

 私たち人間は「人」の「間」で生かされている。ひとりぼっちでは生きられない。羊も同じ。群れから引き離されると強いストレスを受け、病気になってしまう。


 人任せにして、流されるままに危険な方向へ進んでしまったり、転倒して自分で立ち上がれなかったり、私たちはまさに迷える羊。そんな羊たちを、羊飼いであるイエス様がしっかり守り、安全な場所へと導いてくださる。


主は私のたましいを生き返らせ 

御名のゆえに 私を義の道に導かれます。 (3節)


 「羊」という字が組み込まれている漢字のひとつに、「養」がある。

 「養う」の意味は、国語辞典によると次のとおり。

*栄養を摂って養生する*鍛錬して少しずつ作り上げる*人や動物を育てる*幼児や病人の世話をする*楽しませる。

 神様は私たちに、必要な栄養を与え、いたわり、忍耐力をつけ、成長させ、喜びを与えてくださる。


 私たちの「羊飼い」は、「迷える羊」のために十字架にかかり命を捨ててくださった。どこへ向かっていけばよいか分からなくなるとき、この23篇を声に出して読んでみようと思う。


祈り:

 主よ、あなたは私の羊飼いです。転んだときには手伝っていただかないと起き上がれない手のかかる羊ではありますが、イエス様にお世話される私は、ラッキーで幸せな羊です。感謝します。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

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