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2021年8月22日 ディボーション

マタイ18章


 この18章では天の御国に例えての人間関係について語っている。

 いつの世になっても人間関係は、良かろうが、悪かろうがそれを避けて通ることはできない。そして、それは時には人を傷つけて、又は、人に傷つけられながら生きていかなければならない時がある。イエス様は、7節で、「つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。」と語られておられる。

 人をつまずかせることに対して、イエス様は、大変厳しい言葉を述べられておられる。8節と9節で、「〜手が足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。〜あなたの目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。〜両手両足、両目でゲヘナの火に投げ込まれるよりよいのです。」と言われておられる。人をつまずかせるということはそれほどまでに神の愛からかけ離れていることだろう。十字架から背を向けていることだろう。

 私も人をつまずかせた時があった。自分の言ったことが正しいと思ったことは、実は相手を支配しょうとしていることだった。そのことをあるお方に指摘され、自分の間違っていることを知り神様に悔い改めて相手の方に謝って赦してもらった。今度は、私自身がある方につまずかせられるということがあった。とても悲しくて、辛かったけどその時に初めて、自分がつまずかせた方のことを思い、私も私をつまずかせた方のことを赦すことができ、祈ることができた。とても感謝なことであった。


 つまずかせる発端になるのはやはり口からでる言葉ではないだろうか。マタイ15:17~18

「口に入る物はみな、腹に入り、排出されて外に出されることが分からないのですか。しかし、口から出るものは心から出て来ます。それが人を汚すのです。」とパリサイ人に語られた。

 例え親しい間柄であっても良い人間関係を維持していくには、言葉に気をつけて相手を

つまずかせないように心を配っていくことだと思う。神様は、私達の関係を常にごらんになっておられる。小さな気配りでお互いの誤解や赦しあうことに繋がっていくのではないだろうか。


 さらにイエス様は、99匹の羊を山においていなくなった一匹の羊を探しに行く心、小さい者たちの一人を軽んじてはいけないこと、兄弟が罪を犯した時の対処、2人が心を1つにして祈ること、自分を憐れんでもらったことは、相手にも憐れむ心をもつこと、等々。イエス様は、12人の弟子達に教えを説いておられる。それらのことは、みな私達にも匹敵することである。

このすべての例えが良い人間関係を育んでいくものであり、神様が望んでおられることである。


 私達は人間関係においてつまずくことが多々にある。その時に考えさせられることは、相手を責める前に自分がとった行動はどうだったのかを神に祈り、神の声を聴くことができるようになれたら心に平安がもてるのではないだろうか。その時こそ2人で祈ることである。


祈り

 愛する天の父なる神様。あなたの尊い御名をほめたたえ心から感謝します。

 つまずきを覚えた時にあなたを思い切り呼び求めることができますように、相手の為に祈ることができますように助け導いて下さい。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン


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