top of page

2021年6月19日ディボーション

  • hccnichigo
  • 2021年6月19日
  • 読了時間: 2分

ヨハネの黙示録18章


『バビロンは世界に蔓延る』



●学んだこと:


 18章の冒頭でヨハネは天使を見る。大バビロンが倒れたと聞く。4節からは彼女(バビロン)から「出て行きなさい。」と促される。

 バビロンとは、ローマ帝国をはじめとする反キリストの人や社会のこと。

 24節で「地上で屠られたすべての人々の血」とあるから、地図で位置を特定できるようなところではなく、悪魔がいるところすべて、人が住むところすべてがバビロンなのだろう。

「出て行きなさい。」とは、今の生活に置き換えれば、悪事に染まらず、清さを保つということだろうか?

 でも、現実の自分は些細なことでチッとなったり、相手を傷つけたりしている。清さを保つために世俗から離れた、聖職者の中にも悪魔は易々と入り込んでいる。

「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り‥‥‥」ガラテヤ5章の「御霊の実」の前節には、悪しきことが列挙されている。

 わかっちゃいるがやめられない悪を、イエスさまが再臨の時、すべて消し去ってくれる約束が黙示録だ。人の力ではなにもできないから、主にあわれんでもらうしかない。一方的な恵を待つしかない。そんな神さまの全能により頼めることはなによりの感謝だ。

 9節から、神さまは容赦なく、悪に属する者を処罰し、バビロンを、悪の都を崩壊させる。一瞬にして荒れ果てさせてしまう。そしてそのことを、喜べという。

「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも信徒達も預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」(20節)

 敵をも祝福すべきキリスト者が、処罰を喜んでいいのかなあ、と一瞬思ったが、唯一の義である神さまが、全き義を遂行し、実在するあらゆる悪を終息させることを喜ぼうということだ。それなら大喜びだ。

 ただ、新天新地と聞くと大阪の地名と思ってしまうのだけは改めなければ。


ps.黙示録のおしまいの方で、ヨハネは天使に感謝して祈ろうとする場面があります。すると天使は、私じゃなくて神さまに祈りなさいとヨハネをいさめます。ヨハネも天使も、とっても可愛いと思いませんか!



●祈り:


 神さま、このブログの中で、複数の人と、日々バトンを手渡ししながらディボーションをしていると、聖書の水路がふと開けてくるような感じがする時があります。仲間のディボーションを味わうことで生まれる交わりを感謝します。

 そして、黙示録はハッピーエンドが満ち満ちているなあと、うれしい気持ちになったりもします。喜んで御言葉を受けとらせてくださってありがとうございます。

 イエスさまのお名前で祈りを捧げます。アーメン

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年8月10日 ヨハネの黙示録22章

『わたしはすぐに来る』  ここには、この世が患難時代を過ぎ、天では子羊の婚宴が行われやがて、到達する、終点である、喜びに満ち溢れる、新天新地の様子が描かれている、もはや、のろわれるものは何もないとされ、神と子羊の御座が都の中にある。罪を代表する夜という闇もなく、神の栄光の輝きが私たちを照らしているのです。ヨハネの福音書14:3で主イエスは、こう語られました。「わたしが行って、あなたがたに場所を用意

 
 
 
2026年8月9日 ヨハネの黙示録21章

『新天新地の到来』  ヨハネの黙示録も終わりをむかえようとしています。何度も読んできて思わされることは、クリスチャンになって本当に良かったと感謝の気持ちでいっぱいです。それと同時にまだ救われていない人々に福音のしらせを伝えることが示されます。  都の神殿とは全能の神である主と子羊である。そこには、照らす太陽も月も必要とせず、神の栄光が都を照らし、子羊が都の明かりだからである。その都の門は一日中、決

 
 
 
2026年8月8日 ヨハネの黙示録20章

千年王国と聞くと、この1000年がいつ始まるのか、再臨との順番はどうなるのかなど、時系列が気になる私がいます。でも今回20章を読んでいて、私の心に一番残ったのは、「いのちの書」と「自分の行いに応じてさばかれた」という言葉でした。 「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これら

 
 
 

コメント


bottom of page