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2021年2月6日ディボーション

Ⅱ列王記24章


『祝福のための捕囚』


●学んだこと:


 世界史の教科書に必ず載っている”バビロン捕囚”の史実の始まりだ。ユダ王国の民がバビロンに囚われていくのは計3回。この24章には紀元前598年に行われた1回目の捕囚のようすが記されている。

 捕虜となったのはユダの王エホヤキン。ともに捕囚されたのは母、家来、高官などすべての有力者や職人など一万人に及んだ。ただし貧しい民衆は連行の対象にならなかった(Ⅱ列24:14)。富とは無縁の、清貧の強さである。

 捕囚の実際はエレミア書にも詳しいので、併せて読んだ。主はエレミアに語った。

「ユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであるとみなそう。」(エレ24:5)捕囚は聖別?!

「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ。」(エレ29:11)捕囚は祝福の約束?!

 エレミアはユダの民に、家を建てて住み、果樹園を造り、妻を迎えて家族を増やせ。バビロンの町を祈って、平安を得よと預言している。捕囚、連行、拉致という強制的なイメージより、実態は尊厳や自由は保たれた移民か亡命のような感じだったのだろう。

 しかも神さまの救済計画のシナリオに守られて!! 500年近い一系支配を誇ったダビデ王朝の終焉は、終わりの始まりだったのだ。

 捕囚のおかげで偶像崇拝は絶たれ、ユダヤ人としての結束が生まれ、エレミアの預言に従いながら、律法を学び、祈る独自の生活も確立していった。

 どなたかハワイに住むユダヤ人の方に、バビロン捕囚をどう受け止めているのか、聞いてみたいなあ。

 ちなみに”バビロン捕囚”に関する歴史的な資料はほとんどなく、聖書だけがその事実を明記しているのだという。ということは、日本の教科書を作っている人たちは、旧約聖書を信じてくれているということか? ユダヤ人の歴史を編纂したいがために聖書を利用した、とは思いたくないですよね。


●祈り:


「バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた。」

詩編137、ユダの民の望郷の賛美に心を合わせて祈ります。

神さま、あなたの救済のご計画は今も続いています。

和解と平和が神さまの刻にかなって進みますよう、期待して待ちます。

列王記を通読する力を与えてくださってありがとうございました。

イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン

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