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2021年12月17日 ディボーション

詩篇第五巻 107篇


 これまで読み進めてきた詩篇は、いよいよ最終巻に入る。この107篇は、誰もが経験するであろう4つの苦悩について書かれている。そして「この苦しみのときに 彼らが主に向かって叫ぶと 主は彼らを苦悩から救われた。」ことを強調。すべては主によってなされることを知り、主の恵みに感謝せよ、と繰り返し述べられている。


 4つの苦悩。まず最初は、飢えと渇き。

「飢えと渇きによって 彼らのたましいは衰え果てた。」(5)

 荒野をさまよい、人が住む町への道を見出せない状況。希望がなく、心を満たすものもない。頼りになる人や心の通じ合う人がない孤独は、たましいを苦しめる。

 心が枯渇した中で、主に向かって叫ぶ。すると主は、人が住む町へ導き、渇ききった心を潤し、良いもので満ち足らせてくださる。


 2つ目の苦悩は、捕われる不自由。

「闇と死の陰に座す者 苦しみの鉄のかせに縛られている者」(10)

 主のことばに逆らう者は、牢獄で苦役が与えられ、自由を奪われる。主を退け、自分を高くして自己中心に生きる罪人は、誰の助けも得られない。

 孤立した不自由の中で、主に向かって叫ぶ。すると主は、心を縛りつけているものを打ち砕き、たましいを解放し、本当の自由を与えてくださる。


 3つ目は、罪の結果の苦。

「愚か者は 自分の背きの道のため また 咎のために苦しみを受けた。」(17)

 自分の手で、自らを破滅に導く原因をつくる愚か者。間違った道を進む人の行き着く先は、霊的な死。善を受け入れる力を失い、悪に支配されて精魂尽き果てる。

 たましいが衰弱してゆく中で、主に向かって叫ぶ。すると主は、御言葉を送ってくださる。主は、これを受け取る者の心を癒し、滅びの穴から助け出してくださる。


 最後は、恐怖と不安。

「彼らは天に上り 深みに下り そのたましいは みじめにも溶け去った。」(26)

 順風満帆な時、自分の力を過信する。調子に乗って慢心し、主への感謝を忘れる。主は暴風を起こし、いかに人間が非力であるかを見せつけ、懲らしめを与える。

 荒れ狂う嵐の中で、主に向かって叫ぶ。すると主は、嵐を鎮め、恐れや心配がない安全な場所に導き出してくださる。


 以上4つの苦悩はどれも、主の道から外れることで襲いかかってくるもの。

 主に従ってまっすぐ歩くには、強いたましいが必要になる。

 けれども、人間にとって一番大事なたましいを、飢えさせ、縛りつけ、惑わせ、壊そうとする悪の力が、地上に蔓延している。だから、主の助けなしでは正しく生きることができない。人は、自分の手で幸福をつかむことはできない。すべては、主によって導かれる。


 主は、渇いた地に水を与え、逆に、潤った地から水を奪う。主は、私たちの霊的な成長に必要なものを与えてくださり、たましいをダメにするものは取り除かれる。

 聖書には、幸福な人生を歩むための知恵が詰まっている。誰かと比較した相対的な幸福ではなく、永遠にさびれることのない絶対的な幸福を手に入れる方法が。

「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32 )


祈り:

 愛する天のお父様。今日もあなたの守りに感謝します。人生は苦難の連続です。私たちは、常にあなたの力を必要としています。今、苦しみの中にいる人のたましいを癒してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン







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