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2021年11月15日 ディボーション 

詩篇75篇


『さばきは神がなさること』


「滅ぼすな」の調べは、57篇、58篇、59篇ではダビデが、75篇ではアサフによって歌われている。アサフはダビデやソロモンの時代に賛美者として活躍した人物である。57篇、58篇、59篇でダビデは、サウルに追われ、殺されようとしていた。しかしダビデは、ただひたすら神を信頼し、神にすべてのさばきを委ね、自らは神をほめたたえます、と歌っている。そして75篇に来ると、神の正しいさばきはサウルやアブサロムに下り、ダビデに王位が戻った。神はダビデとの約束を守られたのである。「わたしが 定めの時を決め わたしが自ら 公正にさばく。」(2)ゆえに、「滅ぼすな」ということである。それは神が、神の時になさること。人間がそれをするなら、それは神に代わる行い「角を高く上げる者」である。


 詩篇を読んで来て、ダビデの逃亡期間とは、どれくらいだったのだろう、と思い調べてみた。しかしはっきりと、何年、という答えを見つけることはできなかった。4年とか、中には10年とか、いろいろあった。いずれにせよ、その期間が数ヶ月でなかったことは確かである。数年に渡って逃げ続ける間、ひたすら神を信頼し、自らの力で手を下すことはせず、すべてのさばきを神のみに委ねたダビデ。そのような信仰が、私の中にもあるのだろうか、と考えさせられる。


 様々な人たちと関わる生活を送る中で、特に異なる文化圏の人が多く住むハワイという島にあって、その違いを受け入れることの難しさは日々体験している。あくまでも「違い」であって、間違っていることではないと言い聞かせるが、それでも理解できず、心の中で相手をさばき続ける自分がいる。私は「角を高く上げ」「横柄な態度で語る」者なのである。神の子として清くありたい、と願うのにできないことが多すぎる自分に、これでもクリスチャンか、と思ってしまう。

 しかし、パウロのような人でも、同じ思いがあった。ロマ書7:15でパウロは、「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行なっているからです」と語っている。

 驚くことに、このことに気づくことができる理由は、聖霊が内住されている証拠だということである。つまり、聖化のゆえに、このような葛藤が生まれる、ということである。なんという恵み、福音であろうか。

 では、聖化のゆえなら、憎んでいることを行い続けてもよいのかというと、そうではない。そのような憎む行い、人をさばく思いに遭遇したなら、すぐさま聖霊に「回避させてください」と祈ることである。それが聖化である。


 神は聖なるお方であり、義のお方である。神の怒りの杯が満ちる時、この世は終末を迎える。信者である私たちは、それぞれに紆余曲折をこの世で繰り返しながら、聖化され、御国に迎えられる。しかし、子羊のいのちの書にその名が記されていない人たちは、神のさばきにあう。その様子については黙示録が語っている。一人でも多くの人に福音を伝えるために、私も備えていきたい。神の召しに与る時、「はい、私はここにおります。」と答えることができるように。


祈り:

主よ、私の備えが満たされたとき、どうか、あなたの働き人となれますように。私のような者でも、みこころを行う者としてくださいますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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