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2021年10月31日 ディボーション

詩篇第二巻  60章


 ダビデはイスラエルの王となる前後において戦いに挑んできた人であるが、常に連戦連勝したわけではなかった。60章の1節から5節はかなりの苦戦であったことが語られている。

 この苦戦はエドムとの戦いの時で、ダビデはかなりの苦戦をしこの敗戦を神に嘆いている。

敗戦したのは敵ではなく神に打ち破られたと言っている。なぜなら、4節で、彼らは弓に頼って、しかも旗に象徴されている神の臨在をかるんじていたためだと言われている。ダビデは

連戦連勝で自分達の力を誇ったのである。


私達にも言えることである。成功したのは自分の力、自分の才能、つまり、「神がしてくださった。」ということから「私がしたのだ。」と誇れる相手を間違ってしまうことである。そのような思いをもってしまうとダビデのように敗北感をあじわうことになるのである。常に謙遜に主に依り頼むことが重要であることを、神はダビデをとおして私達への教訓へと導いたものであろうということが心に示された。


ダビデは、主が敗北させたと嘆いていても、悔い改めることを忘れなかったのだ。

そして、人の救いに頼らず神を絶対的に信頼して、神にあってこそ力ある働きができるということを語っているのである。


11節 「どうか敵から私たちを助けてください。人による救いはむなしいからです。」


12節 「神にあって 私たちは力ある働きをします。

    神が 私たちの敵を踏みつけてくださいます。」


私達人間は自分の弱さをなかなか素直に認めることができないことが多々にある。自分の弱さを認めて素直に神にあけわたさなければ、神は介入してくださらないのである。神は私達の

素直なへりくだったこころをまっておられるのである。


第二コリント12:9 「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」 一部抜粋


ある牧師が語っておられたことが心に深く染み込んでいったのを覚えている。

「神に近づけば近づくほど、自分の弱さが露わに出てくる。そして、この弱さを知れば知るほど謙遜へと導かれる。」私もそうなれたらいいなと思わされた。



祈り

今日もダビデをとおしてたくさんの御言葉があたえられたことを心から感謝します。

どんな時にも誇れるのは、主よ、あなたお一人だけであることを覚えて日々歩むことが

できますように導いてください。感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。

アーメン


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