top of page
  • hccnichigo

2021年10月23日 ディボーション

更新日:2021年10月27日

詩篇第二巻 52篇


『エルサレム賛歌』


 今週のディボーションは、火曜日の詩篇48「エルサレム賛歌」から毎日のように、シオンを黙想することが多かった。

「北の端なるシオンの山は大王の都」詩48:2

「麗しさの極み シオンから 神は光を放たれる。」詩50:2

「どうかご恩寵により シオンにいつくしみを施し エルサレムの城壁を築き直してください」詩51:18

 チャーチの信仰の先輩からも「今、詩篇110篇を黙想していて、エルサレムの神殿の構造のことで知りたいことがあるの」とテキストがきた。

「主はあなたの力の杖を シオンから伸ばされる。」詩110:2

 シオンの山々に連なるエルサレムは、神さまの都だ。旧約の民から都は慕われ、褒めたたえられてきた。ダビデの神殿が建つもっと前、信仰の父アブラハムが息子イサクを捧げた岩がある場所だ。

 エルサレムという名前は、”イェル”と”シャローム”の2つの言葉で成り立っているという。イェルは”町”、シャロームは”平和”、”充足”、”救い”などを意味するから、神さまの都は”平和の町”なのだ。そしてそこには今も、神さまが臨在しておられる。

 ああ早くエルサレムに行って、神さまのご臨在を肌で感じてみたい。臨在は感じたいけれど、エルサレム賛歌には聖書的にもっと深い意味もあるのだろう。

 イスラエル旅行がしたいなあと渇望しつつ、今の私にとってのエルサレムはホノルルキリスト教会なのだと想いを巡らした。そして私も神の教会の一部で、神さまの臨在を宿している存在‥‥。それってすごい。

 牧人先生と千恵ちゃんにとってのエルサレムは、LAホーリネス教会に移ってしまうんだと、しんみりもしていた。


 さて52篇に気持ちを切り替えよう。52篇当時、エルサレムには黄金の神殿はまだなく、ダビデによって契約の箱が幕屋に安置されていた。

「しかし私は 神の家に生い茂るオリーブの木。私は世々限りなく 神の恵みに拠り頼む。」52:8

 権力者たちが入り乱れて争い、欺きや偽りで混乱した世の中にあって、それでもなお「神の家」を仰ぎ見ていた詩人。神殿がなくても臨在を感じられる、その信仰。

「神の恵みに拠り頼む」とは、どんな逆境や苦難にあっても、神さまの絶対的な愛の計画=恵みを100%信頼すること。自分が先走るのではなく、御名を待ち望み、神さまに従うこと。

 もっというなら、信仰は自力で得たものではなく、神さまから与えられたもの。神の家を見せてくださるのも、神の恵みに拠り頼めるのも、神さまがそうしてくださったからできるのであって、己の力ではないということ。ぜんぶ、すべて、神さまの支配の中にある。それがどれだけ安心で感謝なことか!


 どうか神さま、緑のつやつやの葉っぱを年中輝かせるオリーブの木のように、暑い時も寒い時も、順風の時も逆風の時も、神さまあなたをあがめられますように。そうお祈りするのは、私があまりにブレやすいからです。すぐ我が強くなるからです。あなたの前にへりくだれますよう、私の欠けを補って整えてください。イエスさまの十字架をもっと感じさせてください。

イエスキリストの御名で祈ります。アーメン

閲覧数:48回

最新記事

すべて表示

2022年2月5日 ディボーション

マルコの福音書 7章 『外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。』 6章から8章にかけて、イエスさまの有名なパンの御わざが2回出てくる。1回目は男だけで5000人もの人にパンと魚を分け与え、2回目は4000人の人をパンと小魚で満腹にしたという物語だ。聖餐式の原型なのだろうか、神さまの惜しみない恵みを目の当たりにして、にわかに信じられず、右往左往しながらフリーズしてしまう弟子たち。さ

2022年1月29日 ディボーション

詩篇第五巻 150篇 『十字架は賛美の力の源泉』 とうとうグランド・フィナーレである。角笛と琴と竪琴と、タンバリンとシンバルのあらゆる楽器のフルオーケストラで、ハレル・ヤハ=神をほめたたえよ、と高らかな賛美をいざなう。 大げさな表現は微塵もないのに、ことばの一字一句が気高く揺るぎない。それは神さまが絶対だから。聖書のみことばには霊的な力があることを、ビシビシ教えてくれる詩篇だ。 「御力の大空で 神

2022年1月28日 ディボーション

詩篇第五巻 149篇 私の夫の両親は、娘と息子たちが幼い頃に描いたパパとママの似顔絵や、想い出の写真の数々を額装し、部屋中に飾っていた。 夫が6歳の時に初めて作った小さな折り鶴は、リビングルームのガラス戸棚の中にちゃんと居場所を与えられ、誇らしげに微笑み、喜んでいるように見えた。 色褪せたそれら一つ一つを見つめる両親の目は、とても優しかった。 その中に、私たち夫婦の写真が加わったのを見た時、胸が熱

bottom of page