ヨブ記10章
『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』
●学んだこと:
10章でヨブは不平をぶちまける。切々と、時に激しく赤裸々に、苦悩のすべてを神の前に吐露しようとする。ヨブを創ったのも主なる神で、今ある苦悩と存在のすべてが神の意思であることをも知った、ある種の信頼の上で、それでも訴え続ける。神さまに近づけば近づくほど、絶対的主権を認めれば認めるほど苦しむヨブ。真っ正直に信仰と対峙するヨブ。
アダムとエバのはじめから人間は罪を犯した。神さまは罪を見逃すお方ではない。だから裁かれる、因果応報の法則は事実だ。だがこの法則を唯一打破できるのは、「キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放したからです。」(ローマ8:2共同訳)であると、一昨日のデボーションで学んだ。命の霊の法則とは、イエスさまの十字架の恵みにあずかれるということだ。
ヨブも「私たち二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。」(9:33)と、神とヨブの間の苦悩や不条理を解決してくれる、仲裁者イエスさまの不在を預言的に嘆いた。
昨日のデボーションの記者は、Ⅰテモテ2:5、パウロの言葉を示してくれた。
「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのイエス・キリストです。」
神さまと私たち人間の仲介者は唯一無二、イエスさましかいないということはとても重大だ。信仰の中心に刻んでおきたいことだ。
愛する家族や友人との不安定な関係、異なる信仰の違いやいさかい、政治や国境線上での争いの全て、世界中の苦悩や不条理は、イエスさまの仲介なくして解決できないという事実。絶対的なリアル。私はこの事実の重みをしっかり受け止めていなかった。こんなに大切なことなのに。
今回、デボーションの友が、イエスさまの仲介を記してくれたおかげで、私は神さまとの和解を正しく知ることができた。
「すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。」(Ⅱコリント5:19)
イエスさまご自身も言われる。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)
ハレルヤ!
ミノ、ハチノス、センマイ、ギアラ‥‥焼肉でおなじみの牛の胃は4つもある。消化しにくい植物の繊維を、何度も反芻しながら栄養として吸収するためだ。
私も読み進むだけのデボーションではなく、大切だと思った時には、戻ったり、立ち止まったりしながら御言葉を咀嚼して繰り返し、霊的な栄養にできたらいいなあと、切に願いました。
●祈り:
愛する神さま、イエスさまの十字架のあがないで、罪を赦していただいたことを感謝します。和解の恵みを無駄にすることなく、受け取り生かすことができますよう導いてください。御言葉をゆっくりじっくり味わう喜びを、与えてくださってありがとうございます。感謝してイエスさまの御名で祈ります。アーメン
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