top of page

2021年2月19日ディボーション

hccnichigo
2021年2月19日
読了時間: 1分

歴代誌第一4章


『ヤベツという人』


 彼がどのような家庭で、どのような中に生まれ育ったのか、聖書はその詳細を明らかにしていない。でも、彼は系図の中に挟まれながらも「最も重んじられた」人として、ここにたった2節分だが、特別なインパクトを残して記されている。


 ヤベツが生まれた時から、何か痛みがあったのだろう。「痛み」「悲しみ」という意味が込められた名前にある生涯を、彼は自ら背負って生きてきたのだ。


 苦しかったこと、辛いこと・・・、たくさんあっただろう。


 そのような彼の祈り(10節)は、とっても切実且つ大胆だ。

「私を祝福してください。」「もうこれ以上、痛みを味わうことのないようにしてください。」


「神は彼の願ったことをかなえられた。」(10節)


 このように大胆に神様に求めてよいということ、神様は私たちの切実な叫びを決して無視しない、ということをこの箇所を通してリマインドされる。


 私たちの神様は、祝福の神様なのだ。


 だから私もヤベツのように、祝福の神様を大胆に呼び求めたい。


ヤベツの祈り

「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」アーメン。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年9月22日 マタイの福音書5章

『山上の垂訓』  ガリラヤ湖を訪ねた時に、少し小高い丘の上にある山上の垂訓教会を訪ねたのを思い出します。 ここには、教会に行きつく小道に、一つずつ、この山上の垂訓のみことばが書かれて、それを読んで進むうちに、見上げると八角形の屋根の教会に着くのです。なかには、信仰、希望、愛、正義、賢明、勇気、節制が表現されていて、ここからガリラヤ湖を見下ろすように、主のみことば、5章の場面を思い起こしたことを鮮明

 
 
 
2026年9月21日 マタイの福音書4章

『荒野の試み』  この4章で不思議なことは、主イエスが悪魔の試みを受ける荒野に導いたのは、御霊によって導かれたとあることです。1節「それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」いままで、荒野での誘惑は、悪魔によって試されたように思っていたのですが、連れて行ったのは、御霊であったことが最初の驚きです。 そして、この四十日四十夜の意味する所は、実はイスラエルの民が

 
 
 
2026年9月20日 マタイの福音書3章

イエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられる様子に心が動かされました。バプテスマのヨハネはメシアの前に遣わされる預言者として特別な存在でした。旧約時代の最後の預言者であり、新しい時代への橋渡しをする人でした。バプテスマのヨハネは説教者にとって素晴らしい模範だと言われています。バプテスマが罪と汚れを洗い流すことであるなら、神の子であるイエス様は受ける必要がなかったのです。しかし、なぜ、あえ

 
 
 

コメント


bottom of page