詩篇第二巻 第42篇
コラ人のマスキール
五巻に分けられた全150篇の詩篇。第二巻が今日から始まる。そしてその冒頭の詩篇にこの詩が当てられた。
「神よ、鹿が谷川を慕いあえぐように、わたしの魂はあなたを慕いあえぎます。」(回復訳 1節)
神様、貴方を愛します!と言う告白から始まる第二巻。ダビデがどれだけ主を崇めているかを感じる箇所である。
しかし、その前に「指揮者のために。コラ人のマスキール」と42篇の次、本文の詩に入る前に表記がある。何故ダビデは書き残したか。そこに想いを馳せる。
コラと言ったらモーセとアロンに楯突いたレビの子ども。その結果、
「地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物を呑み込んだ。」(民数記16:32)
神の怒りはコラと共に反逆した者に降った。神に召された者に反逆してはいけない事の良い例となり、今の時代にも通じるのではないだろうか。
この詩篇にコラの子孫が登場する。
「奉仕をした者たちとその一族は次の通りである。ケハテ族からはヨエルの子、歌い手ヘマン。ヨエルはサムエルの子。」(歴代誌第一6:33)
この系図をさらに遡ると。
「エブヤサフはコラの子」(歴代誌第一6:37)とある。
何と、有名なサムエルはコラの子孫だったのだ。コラの反逆の470年後にこのように預言者サムエルや歌い手へマンが主によって用いられた。
「ただし、コラの子たちは死ななかった。」(民数記26:11)
「子が父のために殺されてはならない。」(申命記24:16)
私たちは無で虚しい。ただの土の器。主の愛が注がれていなければ、それはただの有機物。生命体ではない。肉の思い(ただの有機物)で行動するとコラのようになってしまう。
だから主と、イエス様と共に歩む必要がある。いやイエス様は、神様はいつも私と一緒にいてくださる。それに気づいて毎日従ってるかを問われた。主に生かされ、主の目的の為にイエス様と共に歩みながら父なる主が私に思い描く器の形へと練られる工程を歩んでいかなければならない。
その工程は決して自分の心に良いことだけではない。それは聖書を学べば学ぶほど知識として、そして聖霊様が心に触れてくださり、心に刻まれる。
しかし肉の私はすぐにそれを忘れ、勘違いして道を踏み外しそうになる。最近は主が、イエス様が、そして聖霊様がブレーキをかけてくださる。
「私はキリストと共に十字架につけられています。生きているのはもはや私ではありません。キリストが私の中に生きておられるのです。」(新共同訳 ガラテヤ2:19-20)
天の父なる神様。貴方の御名を崇めます。あなたが私にくださる全ての事に無駄なことは一つもありません。御言葉にある一つ一つがあなたからのメッセーです。愛するあなたからのラブレターを今日も受け取れたことを心から感謝いたします。
主イエスキリストのお名前と共に感謝して御前にお捧げいたします。アーメン。
Comentarios