列王記一 18章
『エリヤの信仰の熱量』
学び:
”主のことばに始まり、主のことばを聞き、主のことばに生きる人”――前日、17章の記者はエリヤをこう称えた。新約のヤコブは、エリヤは”祈りの人”だといった。(ヤコブの手紙5:17、18)。
18章でエリヤは、主のことばに従い、カルメル山で異教のバアル預言者たちと対決した。預言者らは狂乱してバアルの神が現れることを祈ったが何も起こらなかった。かたやエリヤは祭壇を修復して整え、祈った。すると主の火が降った。
18:39「民はみな、これを見てひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。
そしてエリヤはひとりカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめて祈った。
エリヤは”祈りを実現する人”なのだ。
2年前にチャーチの仲間と、マタイの福音書を中川健一氏のテキストで学んだ。その時マタイ11:14に「来たるべきエリヤ」と記されている意味が分からなくて、聖書の欄外注釈を頼りに列王記を読んだ。
そしてイエスさまが再臨のとき、エリヤも従えて来るという解釈だと知った。え、随行員?ほんと? びっくりした。
マタイ17:11でもイエスさまは「エリヤが来て、すべてを立て直します。」と言っておられる。中川先生のマタイクラスでは、ユダヤ人たちは今でも、過越の食事で、エリヤのための椅子を用意する習慣があることも教わった。あの学び、懐かしいなあ。
エリヤが列王記に登場する17章と今日の18章はかみしめてなん度でも反芻したくなる。2章を続けて一気読みすると、エリヤの輪郭がより鮮明になる。
18:15「私が仕えている万軍の主は生きておられます。」
18:18「私はイスラエルにわざわいをもたらしてはいない。あなたとあなたの父の家こそそうだ。」
主を信頼し、主のことばに生きて、イスラエルの信仰の回復への道を実現していくエリヤ、この先の列王記もじっくりたっぷり味わいたい。
祈り:
わが主、わが神、エリヤを遣わしてくださってありがとうございます。エリヤのように主のことばに完璧に従い、それを実現するdoingをまのあたりにすると信仰の真摯さ、純度を考えずにはいられません。
エリヤみたいな信仰の強さに出会ったとき、同じアクションはとても真似できないから、今はただ読むだけ、反芻するだけ、黙想するだけのbeingの状態になります。でもフリーズじゃない、エリヤの信仰の熱量はチャージしました。
エリヤを遣わせてくださって感謝だなあという、今日はお礼の祈りです。ありがとう神さま!ハレルヤ!
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