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2020年7月28日ディボーション

更新日:2020年10月4日

申命記 34章 7節

主に満たされるものは衰えることがない。

語られたこと。

7節にモーセが120歳で亡くなった時に、目はかすまず、気力も衰えなかった、と書い てある。120歳のモーセが荒野を歩き出した日を逆算すると80歳の時である。どれだけ強 靭な体を持った人だったのだろうか。でもそれは肉体的なことよりも精神的な強さが肉体をも 強くし、最後まで神様の御手としてイスラエルの民を導くことができたのだと思う。 今の私はまだモーセの半分の年にも至っていない。しかし肉体的な部分はすでにボロボロ である。こんな事では、人生の荒野の途中で生きた言えてしまうな、、、と思った。 モーセが自分たちの民に第二世代を約束の地に導き、それらの人々に必要なものを伝えた ように私も子供達に必要な教えを伝えるために、まだまだ心も体も強靭であらねばならないと 思った。そして、それは自分の力でではなく、全て主の御心であり、主の恵によって与えられ るものである。今、体に不具合が生じているのも学びなのだと思う。この学びを精神鍛錬の糧 としてモーセと同じ年までとは言わないが、せめて半分の歳くらいまでは神様のお役に立ちた いと思う。

応答

天の父なる神様。今日も私たちに命をありがとうございます。イスラエルの民にように私たち はまだ訓練の途上にあります。貴方の訓練が全うされるその日まで、どうか私たちの心と体を 強めて下さい。アーメン。

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