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2020年10月17日ディボーション

マタイの福音書20章1−16節

「あなたはどこに立っているのか?」


「天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。」


学んだ事

 本章では葡萄園の主人が朝、6時から、9時、正午、午後3時、午後5時と出かけて市場で何もしない人に声をかけて葡萄園で働く人を募る話である。

 葡萄の収穫はお米と同様、適したときに一斉に刈り取りをしなければならない。そんな訳で主人はできるだけ多くの人を刈り取りの時に日雇いとして雇う。これは今の時代のワイン作りでも同じである。

 あなたは葡萄畑にいるのか?それとも市場に立っているのか?と問われた気がする。

 この話は現実の経済社会の基準で言ったら割が合わない。時給で計算しないと朝から働いている人は損するじゃないか? と言う考えが12節のとある労働者の呟きである。しかし、この話は天国と言う葡萄園に働く私達が、雇い主の神様やイエスさまによって賃金と言う報酬ではなく、天国に入れると言う恩寵を受ける事が述べられている。

 7節には「誰も雇ってくれない」と言う人がいる。他者に見向きもされない人、賜物が無いと思われている人でも、主は彼の葡萄園に招き入れてくれるのです。罪深い私たちが無条件で葡萄園に招きいれられる。それだけで十分である。しかし私はそれを忘れて昂ることがある。

この箇所を通して、改めて私が何を神様に求められているのか考えるきっかけとなった。


祈り

 天の父なる神様。あなたに捕らえられて葡萄畑で働き出したのは遥か昔のはずです。しかし気がつくと市場でフラフラと働きもせず一日無駄に過ごすような事もあります。「それではいけないのです!」とこの章を通して語ってくださりありがとうございます。葡萄が実った時だけ働く日雇い労働者ではなく、葡萄の刈り取りが終わっても、次の葡萄の実を翌年に実らせるための準備を主と共にできるように、どうぞ私を捉えて離さないで下さい。あなたの御言葉によってどうぞ私を葡萄の園につないで下さい。そうやってあなたの働き人である事を切に願います。尊い、主の御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。

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