新約聖書:へブル人への手紙 1章
「イエスは、神の本質」
今日から、久しぶりに新約聖書に戻ってきた感じがする。へブル人への手紙は、旧約聖書に深く精通したユダヤ人クリスチャンに向けて書かれたものである。旧約聖書の特に、モーセ五書(トーラー)からの引用が多いのが特徴。著者は不明。
旧約聖書に精通していない者にとっては、難解と感じる部分もあるが、旧約聖書の各当箇所にあたりながら読んでいくと、目が開かれるように分かるようになる。
このユーチューブの解説が、とても分かりやすくまとめているので、ぜひ参考にしたい。https://www.youtube.com/watch?v=ZKlQXU6_OYs
この1章1節には、とても重要なことが記されている。かつて(旧約時代)には、神は預言者を通して語っていた。しかし、終わりの時(新約時代以降)は、御子を通して語っているという。
現代には、広義においては、「神のことばを預かる者」ということにおいて、説教者は預言者と言うこともできる。しかし、狭義においては、イザヤやエレミヤのように、「主は言われる」と述べて神のことばを直接語る人はいない。(1コリント12章から14章に言及されている預言の賜物については、ここで触れません)。
ここでは、神は御子イエスを通して語っているというのだ。その意味は、私たちが聖書に対するとき、特に旧約聖書は、イエスがキリストであることを語っているということだ。
そして、このイエスこそが、創造主であり、神の栄光の輝きであり、神の本質の現れなのだと、つまりイエスこそ神の御子であることを強調している。
さらに5節からは、御子は天使に勝るお方であることを語られている。これは、シナイ山でモーセに十戒の石版を渡したのが天使だと言われているので、その石版に記されている文字そのものを記した御子は、天使よりももっと優れたお方だということになる、という論法だ。
このへブル書の始まりから最後まで一貫しているのは、イエスがキリストであることの確かさである。この書は、私たちがイエス・キリストの本質を知るために書かれている。そのことを考えると、この先2章からの内容が、とても楽しみになってくる。
語られたこと:
イエスがキリストであることは、聖書に記されていることであり、聖書に根拠があることを改めて確認した。特に旧約聖書からイエス・キリストの本質を見ていくと、より深く、イエスを理解することが出来る。なんだかワクワクするような気持ちになった。
祈り:
天の父なる神さま。どうか、このへブル書を通して、イエスさまのことをさらに深く知ることが出来ますように、聖霊がどうぞ導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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