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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 野やぎがいつ子を産むか、だちょうがなぜ子を顧みないか、馬がなぜ戦に恐れず進むのかなどなど、39章では、神さまがさまざまな動物(野ヤギ、鹿、野ろば、野牛、だちょう、馬、鷹、鷲)を通して、ヨブに問いかけます。


「あなたは岩間の野やぎが子を産む時を知っているか。雌鹿が子を産むのを見守ったことがあるか。」1節


「あなたはこれらがはらんでいる月を、数えることができるか。それらが子を産む時を知っているか。」2節


 この問いかけには、人が見えない場所でも、わたしは命を生み出し、野やぎや雌鹿の命の営みさえも支え見守っているという神さまの深い配慮を感じます。


 それは神さまが、あなたが理解できなくても、見えていなくても、私は働いている。あなたの人生にも、わたしの御手は注がれているのだよ。と語ってくださっているようです。


 私は、神さまに「どうしてこの道だったのか」「この辛い思いには意味があるのか」「どうしてこの祈りに沈黙なのか」と答えや説明を求めることがよくあります。でも、私が神さまに説明をもとめて知ることより、全てを知っておられる神さまに信頼することの大切さを学びました。


「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」詩篇37~5


愛する天のお父さま 

 私は時に、あなたのご計画をすべて知りたくなります。でも、あなたがすべてをご存じで、私の人生を導いておられることを思い出させてください。 

 自分の理解ではなく、あなたの御心に信頼できますように、私の心を整えてください。見えない中でも、あなたのご臨在を感じて歩めますように。

 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。 アーメン



 

 自転車に乗り始めた子供の頃、歩くより早く目的地に着くのが嬉しくて毎日のように乗っていた。

 近所のおばさんが母と話をしていた。「ここから三条までは自転車で1時間はかかるからねー。」という話しだった。三条という所はえらい遠い所なのだな、と子供ながら思ったものだ。距離というものが分かっていなかった。

 地球軸が23.4°傾斜し太陽の周りを自転しながら一周することにより季節があり、月の引力により満潮干潮があると知り感嘆した。水があり、木々や食物が育つ土地があり、人が生きて行ける環境が整っている。神様が創造された被造物は、人間も含めてなんと巧妙にできているのだろう。万能の父なる神の偉大さは言葉では言い表せない。

 これまではヨブの嘆きや友人達の苦しみの意味と御心の関連についての問答であった。38章でやっと主がお答えになるが、逆にヨブは問われる。

 

(ヨブ記 38:1-4 JDB)

「主は嵐の中からヨブに答えられた。知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。

わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。あなたは知っているはずだ。」


解説を読んでみる。

 人生の嵐の中に主は答えられた。あなたは勇士のように腰に帯を締めて戦いの覚悟をしなさい。私が地球の地と海の基本を定めた時、どこにいたのか? あなたは何もわかっていないと知っているはずだ。


 今、私が知らないことを主は全部知っている。子供が成長するごとに学び知ることは多いだろう。でも将来 父なる神さまの愛の深さ、広さ、長さ、高さ、大きさは、私が霊的に成長すれば知ることができるのだろうか。経験的に知っている感じもある。さて霊的に成長するには、など悩みながら問いながら御言葉を学んでいきたい。


祈り

愛する天の父なる神様

あなたがこの地球を据えた時、私は生まれてもいません。こんな不完全なものに、イエス様の十字架により聖霊様を内に宿し生きるものとさせて頂きました。あなたの偉大さは測りし得ません。どうかこれからも迷子にならぬようあなたへの道へと導いて下さい。尊いイエス様のお名前により祈ります。アーメン


          文 マッカーター政子

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 ヨブ記37章はエリフの最後の言葉である。


 エリフは自然現象(雷、稲妻、大雨、雪、氷、冬の寒さ)を通して、ヨブに、神の偉大な人知では測り知れないことを語っている。つまり、この自然界で起こっていることはすべて神の御業によって、ご自分の思いのままに成し遂げられているということを述べているのです。神が我々の創造主であること。その創造主にたいして、高慢にならずにへりくだる心をもつように、そして、知恵ある者を決して神は見捨てられないと24節で言っています。


「だから、人々は神を恐れなければならない。神は心に知恵ある者を顧みられないだろうか。」―24節―


 実にエリフのシャープな語り方であります。私たちにも問われることだと思います。この世界を創造されたすべてのものに対して、どれだけ心から歓喜して、感謝の気持ちで接しているかどうかを。


 私は、洗礼を受けてしばらくしてから目に映るものすべてが鮮明に美しいと思いました。かつては、特に大輪に咲いた花々にだけ目が集中していました。だが、いつしかひっそりと咲いている野の花々がこんなにも可憐で神秘的に思えてなりませんでした。その時、神さまの奇しいみわざに触れさせてもらった気持ちで感謝でした。いそがしい日々をおくる私たちにとって14節の御言葉は大切なことではないでしょうか。


「ヨブよ、これに耳を傾けよ。神の奇しいみわざを、たち止まって考えよ。」


 神の奇しいみわざを考える時は、私たちの心に平安が宿るのではないでしょうか。感謝が、希望が、癒しが、喜びが満ち溢れることになっていくのだと思います。教会のある姉妹が花々を活けている時の彼女を見ていると、彼女が花々を摘んでいる時にはきっと神の奇しいみわざに触れられているだろうなと思わされます。それと同時に、花瓶に生けられた花々がとても可憐で、それを見た自分にも神の奇しいみわざが伝わってくるようで大変心の癒しになり、感謝の気持ちでいっぱいになりました。



 主の御名を心から感謝します。

私たちを創造してくださった主に心から感謝します。あなたが創造してくださった自然界の奇しいみわざにもっと触れていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



 
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