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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」 11節


 「神のすべての武具」とは、腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備え、これらすべての上に信仰の盾、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣(神のことば)を取る、ことなどを言っています。そうすれば悪魔に対抗できるとパウロは言っています。


 そして、何よりもまず御霊によって祈りなさいと語っています。18節から20節までに「祈り」ということが5回もでてきます。パウロが強調していることは、他者のために祈ることだと思います。私たちクリスチャンにとって、もっとも大事なことでもあります。だれかが苦難の中にいる時に私たちが率先して行うことはまずみんなで心を一つにして主に祈ることです。マタイの福音者18章19~20節で祈りの大切が述べられています。


「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」19節(一部抜粋)

「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」20節


 祈りは私たちクリスチャンの武器でもあります。祈りはきかれます。パウロも大胆に自分のことを祈ってほしいと言っています。私たちも人に祈ってもらうことを恥と思わずに大胆に祈ってもらうことが信仰の道へと一歩踏み出すことになると思います。


 パウロは、人間関係について述べています。前の5章では、夫婦間について述べています。そして、6章では、親子間、主人と奴隷間などについてです。親子の間の会話にはかなり難解なことがあります。私も子供の思いが理解できなくてよく衝突することが多々にあります。その時に私に示されたことは、子供の人格を尊重して、ありのままを受け入れ、親子の問題をクリスチャンの知人たちに祈ってもらうことです。



 愛する天の父なる神さま。

パウルがエペソ人に伝えようとしたことは、今の私たち教会員にもあてはまることです。どのようなときにも神の武具を身につけて、互いに忍耐をもって祈り合っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

『神に倣い従うもの』


22節「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」


 この22節には抵抗を感じる方がおられるかもしれない。この節で思い出すのは、今は亡き母である。

 両親は感謝なことに仲が良く温厚な人柄であった。母は全て自分が仕切っている時でも、父の「手柄」と見せかけるのが上手だった。夫をたてる名人だな、といつも感心していた。

 ご近所の仲良し夫婦と2-3日国内旅行に自分が行きたい時は「あなた本当に運転上手よね、あなたの運転だと凄く安心なのよ」という感じで、父も喜んでのせられていた。うまい。

 私も母に倣い亡き夫に従ったつもりではある。だが、定職につかずにアルコール中毒となった時にはこれがとても難しかった。イエスが十字架で言われた通り「自分で何をしているかわからないのです。」

 ただただ「神の恵みのみ」により私は救われた。感謝です。


 さて、話しは変わるが、先日、天皇陛下がトルクメニスタン大統領閣下と4/15日に会見されたというニュースを見た。

 このトルクメニスタンという中東の国には「地獄の門」と異名をとるダルヴァザ・ガス・クレーターがある。

 今ではそのクレーターは火の海のようで、国の観光名所にもなっている。カラクム砂漠のど真ん中にあり、1970年代に発見され、天然ガスが出ている。国政により安全を期してガスを燃やしてしまおうと、1980年代に火がつけられた。当初2−3週間で火は消えるだろう、と予測されていたが、今に至っても、火の海のように燃えている。大きさや容貌はハワイ島のキラウエア・クレーターと似ている。

 因みに聖書に「地獄」という言葉は使われていない。黄泉とかゲヘナと呼ばれ、身体が滅んだ後、天に昇るのか黄泉に下るのかの裁断を待つ一時的に留まる場所らしい。

 トルクメニスタンでは天然ガスで利益を得ようと火を止めようという動きが4-5年前にあったが断念したらしい。

 人間の知恵とは浅いものだと思い知らされる。

 観光が第一産業であるハワイも人間がいじりすぎないように願うばかりだ。


[創世記1:27-28]

 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」


 自然界を支配せよ、とは神様が我々人間に任されたことである。にも拘らず勝手な行動にて、自然界を壊している感じがする。


天の父なる神様

どうか、あなたに愛されている子供らしく、御子イエスを見倣うものとさせて下さい。あなたの言葉に従順でありますように、私たちの心を優しく練って御国への道を整えて下さい。イエス・キリストのお名前により祈りを捧げます。アーメン

文: マッカーター政子


 

 エペソ人への手紙の最初の3章で、パウロはキリスト教信仰の偉大な真理と、神の目的と計画を果たすためにおかれた教会の役割を書いています。この4章からは、教会がその与えられた役割を果たすためには、教会を構成する教会員一人ひとり、どのような者でなければならないのかを記述していると思われます。


 1章の終わりに書かれているように、「教会はキリストのからだ」(1:23)です。キリストはそのかしらです。だから教会は、キリストがそれを通して働かれるからだであり、それを通して世界の人々に語られる声とならなければなりません。


 教会のメンバーである私たち一人ひとりは、キリストのからだの重要な構成部分になるために、キリストにあって招かれました。教会がこの世にあって、人と人との間にあって、また人と神との間にあって、キリストの和解の道具として用いていただけるためには、我々クリスチャンの個人個人の特徴はどうあるべきかをパウロは示しています。


 それがこの章のはじめのパウロのことばです。それぞれキリストのからだの一部である私たちは「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(4:2,3)と勧めています。それをなすことによって、キリストの賜物の量りに従って与えられた恵みには色々違いや差はあっても、そこにキリストのからだとしての教会員のはっきりした一致が育まれるのだと思います。


「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ」(4:5)だからです。


 そして、パウロはまず古い自分を捨てて新しい人を身に着ることを勧めています。キリストのからだの一員として神に招かれたわたしたちも、この章の終わりにあるように、「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去」って、「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストのおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合」って生きていきたいものです。(4:31,32)


愛する天のお父さま、今日の御言葉を感謝します。拙い私たちを、キリストのからだの一部として、招き入れてくださったことを心より感謝します。主よどうぞ私たち一人ひとりを、キリストのからだと、あなたの目的と御計画のために生かしてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン 


 
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