- hccnichigo
- 8月4日
『わたしの救いを見せる』
この詩篇91篇の中には、主イエスの荒野の誘惑、マタイ4章6節で使われている聖句があります。マタイは「こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使に命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石にあたらないようにする』と書いてあるから。」
これは、この詩篇91篇11〜12節を引用したのです。サタンの誘惑は巧妙で、聖書のみことばをフルに使って、私たちの欲しいなぁと心の中で潜んでいる感情をふるい起こします。サタンの聖書知識は、今のAI、人工頭脳よりも優秀なのかもしれません。しかし、サタンには絶対無いものがあるのです。それは私たちに対する愛は、絶対にありません。あたかもあるように見せかけても、行くつく先は、神との離別、反逆の道、破滅の道を、それを薔薇色の道のように見せかけるのです。
もう1箇所、この91篇15節には、「彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。わたしは苦しみのときのい彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える」。
主イエスが十字架に上げられた時に、群衆がイエスに向かって、神の子ならば神に助け出してもらえと嘲笑したことを思い出します。しかし、十字架にかかったのも、私たちを救い出すためでした、神の奥義として、救いのための十字架であったことがわからなかったのです。父なる神がすべての人間を救おうとされる方法は、まさに神の愛による救いの技であったのです。
祈り
十字架が私たちの救いのための、神の愛と理解できたことに感謝します。それまでの自分は、ユダヤの群衆のごとく、神の子であったならば、なぜ十字架刑にかかるのかと、疑問に思っていた者でしたが、主の救いを見ることができたことに感謝します。アーメン
文: 森 宗孝

