- hccnichigo
- 8月22日
詩篇109篇は、35篇、69篇などと一緒に「呪いの詩篇」と呼ばれる詩篇だそうです。私たちが最高の存在であられる主の前で祈るとき、神への不平不満、隣びとに対する憎しみや怒りをぶちまけるような時、それでいいんだろうかと思ったりします。しかしこの詩篇を読むと、「いや、それでいいんだよ。」と主が語っていてくださるみたいです。
この詩篇のはじめに、詩人は自分が「彼ら」に示した善や愛が、悪と憎しみとなって返ってきている状況の中で、まさに恩を仇で返されるような事態を嘆き神に訴えています。
そして6~20節はそれに対して仕返しをするような呪いのリストです。即ち、だから主よ彼らに裁きと刑罰を与えてくださいと、毒づいた口で訴えます。私自身まだ不信仰でクリスチャンでもない頃でも、自分を傷つけようとするもの、自分に怒りを起こさせるような相手に対して、「神様、あいつにバチを与えてください。」と祈ったものですが、それと似ています。
最終的に詩人が語っているのは、私たちの隣人に、呪われ、つらい状況に追いやられ、傷つけられ仕返しのできないような状況に追いやられるような時があるかもしれない。しかし、そのような時は、私たちの傷ついた思いを、素直に神に祈って知ってもらうとよい。感じるままをそのまま正直な気持ちを、必ずしも清い祈りではないかもしれないけれど、飾ることなく自分のことばで祈るとき、私たちの無限に寛大な愛に満ちた神は、それを忍耐強く聞いて、理解して、苦悩を取り去って、私たちの心に平安を与え祝福してくださるのです。
「彼らは呪いましょう。しかし、あなたは祝福してくださいます。」(28節)。
自分の気持ちをごまかし続けても、解決はありません。善人ぶってても、その裏表のギャップの厳しさに苦悩するだけです。だから、どんな時でもどんなことでも正直に神に打ち明けて祈ることを勧めているのだと思います。「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:16)
憐み深い天のお父さま、あなたはなんと寛大で忍耐強いお方でしょう。私たちが悩む時、その思いを、正直に飾ることのない自分の言葉であなたの御前に差し出せば、それを喜んで受け入れてくださり、私たちに心の癒しを与えてくださることをこの詩篇から学びます。私たちにもそのような祈りをも許していてくださっていることを感謝します。
God Is Good All the Time. アーメン

