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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『祝福される家庭』


 この詩篇は、都上りの歌としてバビロンでの捕囚から解放されて、念願のエルサレムに戻ってきた時の経験を土台となったのでしょうか、そして、その後色々な苦難を乗り越えて、ユダヤ人の心の故郷であるエルサレムに向かう旅の途上での旅情を歌った詩篇だと思います。 


 ここでは、主を恐れて、主の道を歩むすべての人の家庭は祝福を受けていること、それは主が聖なる民を愛し、その都エルサレムに手厚く祝福を与えているように、主の道を歩む者の家庭は、主の恵みを受けていることを描いています。


 しかし、恵まれていることの表現が面白い、3節「あなたの妻は 家の奥で たわわに実るぶどうの木のようだ。」自分は、自分の妻のことをぶどうの木にたとえて見ることはなかったけれど、もしかしたら、家の中で、ある時は限られた食材の中から、おいしい食事を作ったり、疲れて家に帰ってきた子供達に笑顔を与えたり、エプロン姿から、突然美しい夕食用のドレスに変身したりすることを思うと、確かにたわわに実っているぶどうの木という表現に納得できると思いました。


 このように、いにしえの昔から、祝福される家庭は、経済的に裕福だったり、貴族の家庭であったりするのではなく、主を家庭の中心にして、主を恐れ、敬い、主に感謝することを忘れずにいる家庭が、たとえ召使いがいるわけではなく、貧しくとも、子供たちと食卓を囲み、主に感謝して頂く家庭は、祝福を受けるのです。


 イエスが未だ生まれたばかりの時に、両親がイエスをエルサレムに連れて行って律法に定められた通りに、割礼を施したとルカ2章でありますように、多くのユダヤ人両親は、幼子を連れてエルサレムに向かったことでしょう。途中は荒野で野宿したり、知り合いの家に泊まったりする旅でしたでしょう。そのような旅の途中の、キャンプをしながら、焚き火を囲んで、子供たちに、主を恐れ、主の道を歩む者は、祝福を受けると、この歌を一緒に歌ったのかもしれません。


祈り

主よ 私たちも主に在って、主を恐れ、敬い、感謝し続ける家庭でありますように、患難に会おうとも、主の道を歩むことができる家族でありますように、私たちの心を整えて下さい。 アーメン 

文:森 宗孝(関先生の代打として)


 

『主が建てる家』


 昨日は、ちょうどHCCのこれからの隣接するマウカハウスの建て直しを祈っておりましたが、するとこの詩篇、1節aに「主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい」と書き始めています。 私たちのプロジェクト、主が主導権をお持ちになって下さっているようにと願います。


 私たちの教団、北米ホーリネスの100周年大会が終わりましたが、この詩人は、私たちがたとえ早く起き、夜遅くまで働き続けても、主が見守ってくださらなければ、空しい、空虚だと詩人は言います。どうでしょうか、私たちの教団ばかりでなく、日本のすべてのクリスチャンの集まり、アメリカのすべての教会が主イエスが指導者として、信徒それぞれが持つ色々な賜物、あたかも違った楽器の音色を出すオーケストラのコンダクターのように、中心となって指揮をとって下さっているのかどうかが、果たして、私たちの働きが虚しくなってしまうのか、それとも大いなる実りをつけるのかの分岐点になっていると歌われています。


 ひとつ、主が見守ってくださるのかどうかの基準になるヒントが、この3節にあるように見えるのです。3節「見よ 子供たちは主の賜物 胎の実は報酬」とあります。子供達がたくさんいる教会は、きっと恵まれた教会なのでしょう。残念ながら、日本の教会は、牧師も信者も全体的に、平均年齢が高くなってゆくばかり、私たちの教会も、若い世代を育成しているとは言い難い状況です。


 いちど日本の教会で、若い世代を育てるという課題での話し合いに参加した時のことです、数名の20代の若者が、会議の途中で手をあげて発言しました。若い人を、若い人をと皆さんが言いますが、誰一人として、若い世代が、例えばどのような歌を聴いているか知っている人はいません。そして若い私たちは教会に来るのは、手伝いに気軽に駆り出されるために来ているのではないとかなりきつい発言ですが、的を得たことを思い起こします。 ああ言い切った彼も、きっといまでは中年になって、どうされているのかなぁなどと思ってしまいます。


 私たちは、若い世代にアピールする、音楽であるとか、主は愛であるという、聴く耳に、聞きやすい音色を出すのではなく、かえって福音の土台である、十字架と復活そして、やがて訪れる裁きの再臨を声高く、伝えることが求められているのかもしれません。主イエスを通じてでなければ、誰ひとりとして天の父のところに昇ることはできないことを、心から伝えてゆきましょう。


祈り

自分にも未だ、幼い孫娘たちがおります。この娘たちが育ってゆく世界は、どのような世になってしまうのか...文明が発達するごとに道徳が乱れ切ってしまうことを私たちは歴史で学んでいます。 ギリシャやローマ帝国もそうでした、日本も帝国主義となり戦争へと走ってしまいます。天皇陛下が神であると教会でも宣言するように強制された時代でした。どうか孫娘たちが、しっかりした主の信仰を土台にして生きてゆけますように、私たちを通じて、主のみことばを届けられますように願っています。アーメン 

文:森 宗孝


 

『喜びの刈り取り』


 主がシオンを復興してくださった時と、この詩篇は始まります。エルサレムが復興したのは、バビロン捕囚されていたユダヤ人たちが、紀元前538年、ペルシャのクロス王よって、預言されていた通りに70年の苦難の後、エルサレム帰還が許されました。


 この預言、イザヤ書40章2節「エルサレムに優しく語りかけよ。 これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と」 二倍とは長子が他の息子に比べて相続する量のことで、エルサレム(稚名シオン)は二倍のものを父なる主から受け取ると、バビロン捕囚の150年ほど前の預言者イザヤによって語られていたのです。 そうして、70年という捕囚の期間については、同じく、捕囚が始まる前の預言者エレミアによってエレミア書29章10節「まことに、主はこう言われる『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』主がシオンの繁栄を回復されたのです。


 しかし、この時代のイスラエルの歴史を良く見ると、クロス王によってのエルサレム帰還は、決していっぺんにスムーズにされていたのではなくて、初めに帰還したユダヤ人は少数で、やがて何度かに分けて帰ってきましたが、城壁が直されるのも時間がかかりましたし、さらに神殿が立て直されるのには、もっと時間がかかったことが分かります。

  

 そのような遅々として進まぬイスラエルの回復を、待ち望んでいたこの詩人は、戻ってきたイスラエルの民たちに、もう一度、捕囚から故郷へ、あのシオンに初めて戻ったきた時の初心を思い出すようにと語りかけているように思います。


 私たちは喜びで満たされたではないか、涙して種を蒔いた者だったけれど、喜び叫びながらシオンに戻ってきたではないか、どうか初めの喜びを思い出そうではないかと訴えているのではないでしょうか。


祈り

私たちHCCも、これから将来のために隣接するマウカハウスの建て直し計画があります。次世代にむけて種を蒔きましょう、苦難がともない涙するかもしれませんが、喜びの刈り取りに向かっていることを覚えましょう。 アーメン 

文:森 宗孝


 
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