top of page
Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

【お知らせとお願い】
​ メールアドレスを登録して頂ければ、
 新規ブログ更新毎にお知らせメールが届きます。​
 この機会に、是非、ご登録をお願い致します。​

ご登録ありがとうございました

 *登録の手順) アドレス入力 → 「>」を押下

「主よ わたしの心はおごらずわたしの目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや奇しいことに 私は足を踏み入れません。」 (1)

「まことに私は 私のたましいを和らげ 静めました。乳離れした子が 母親とともにいるように 乳離れした子のように 私のたましいは私とともにあります。」(2)

「イスラエルよ 今よりとこしえまで 主を待ち望め。」(3)


 詩篇131篇を開くと、たった三節の短い詩の中に、茶室の空気のような静けさと深みが広がっていました。それは、裏千家のお点前のひとときを思い出します。


 茶室に入り、心を静め、一つひとつの所作を整える。そこでは技を誇るのではなく、ただ客人を思い、淡々と美味しいお茶を点てます。その所作はまさに「心はおごらず、高ぶらない」姿に似ています。


「乳離れした子が母親とともにいるように」という2節の姿は、お点前の心にも通じます。ただ茶の香りと湯の音に耳を澄ましながら、焦らず力まず茶筅を動かし、御霊を込めるようにお茶を点てる。その中で、自分のたましいもまた、神さまの懐で安らいでいることを思い出します。


 最後の三節、「今よりとこしえまで主を待ち望め」。これは、客人に茶を差し出し、その人が一口含む瞬間を静かに待つ心に似ています。茶を通して相手が安らぎを受け取ってくれる時、その場が完成するように、信仰もまた、神さまの応答を静かに待ち望む中で実を結びます。


 茶室での一碗のように、神さまの前でも、ただ静かにその懐に安らぐこと。そこに、何ものにも代えがたい平安があることに気づかせていただきました。感謝します。


愛する天のお父さま

 御前でおごらず、高ぶらず、静まる者であらせてください。あなたの懐で安らぎ、あなたの時を待ち望む心を与えてください。 私の歩みが、あなたに献げる一碗の茶のように、喜びと平安をもたらすものとなりますように。イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 

1. 主よ 深い淵から私はあなたを呼び求めます。

2. 主よ 私の声を聞いてください。私の願いの声に耳を傾けてください。...


7. イスラエルよ 主を待て。主には恵みがあり豊かな贖いがある。

8. 主は すべての不義からイスラエルを贖い出される。


 誰でも人生において自力では抜け出せない困難に陥ることはあるだろう。詩篇の筆者は絶望的な状況から主を呼び求め、自分の願いに耳を傾けてくれるよう懇願する。主には深い恵みと贖いがある。そこに希望を見出すようこの詩は促している。


 神はその一人子を賜うほどにこの世を愛された。


 そして、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43章4)  私たちを神様の「最高傑作品」呼んで下さる。


「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7章:7)


 これらの御言葉に大きな希望を感じる。


天の父なる神様、

御子を犠牲にしてまで、罪深い私たちを贖い愛して下さっていることに感謝します。「いつも喜んでいなさい」という御言葉は絶望の中にある人には伝わりにくいかも知れません。試練が後の益になることは、その時が来ないとわからない。でもそれは真実である。試練の中にあっても耐えて乗り越えられる力をどうぞ私たち一人一人に与えて下さい。尊いイエス・キリストの御名により祈ります。感謝して、アーメン

文: マッカーター 政子


 

「主は正しくあられ

 悪しき者の綱を断ち切られた。」4節


 詩篇129篇は、イスラエルの民が敵によって苦しめられた裁きとシオンを憎む者への裁きが述べられています。


 1節で、「彼らは 私が若いころからひどく私を苦しめた。」と述べています。特に3節の御言葉が非常にリアルに感じられた。


耕す者たちは私の背に鋤をあて 長いあぜを作ったが。」


 これはどういうことかと言うと、エジプト人や敵対者によって私の背はムチ打ちによって、背中の上から下まで、肉がさかれ、その傷は盛り上がり、畑のあぜみちのように残っていると解釈されています。このように酷いことをされても、イスラエルの民は、主の救いを心から待ち望んでいたのです。


 私たちもこの世では、いつも試練の中にあってそれは避けられません。しかし、イスラエルの民を思う時、出エジプトのことを思う時に、彼らは決してあきらめずに、主が正しいお方であられること、神の民を憎む者たちは、必ず裁かれるということを信じていたのです。私たちもそのような信仰を持ち続けて、すべてを主に委ねていけば、試練にあったときにも、それを受け入れる勇気が与えられるのではないでしょうか。


 ハレルヤ!主の御名を心からほめたたえます。イスラエルの民がどんなに酷い仕打ちをされても、彼らが耐え忍んできたのは、主が正しいお方であり、決して見捨てないお方であるという強い信仰を持っていたからだと思います。私たちも、彼らの信仰に見習って歩むことができますように。内なる聖霊の火を絶やすことのない信仰の持ち主とさせてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
bottom of page