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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『主は堅固なやぐら』


 日本では、お金、金銭は不浄なものとしてみられていますが、アメリカの紙幣を見ると、例えば五ドル札の表にはリンカーン大統領の肖像、20ドル札にはアンドリュー・ジャクソン大統領と肖像が続いています、そしてその裏の上の方に 「IN GOD WE TRUST」と神の名によって信頼するとあるのは、お金は不浄とする日本と神の名まであげるアメリカのお金に対する感覚の違いでしょうか。しかしながら、最近のニュースを見ると、アメリカ国内が特に富に対して、国内で対立してしまっているように感じるのは自分一人だけではないようです。


11節「富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思い描いている」  それに対して黙示録3章17節でラオディキアの教会に対して「あなたは、自分では富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。」と酷評されています。私たちの愛するアメリカも、神の名を唱えながらも、実は霊的には、かえって建国時よりも、もっと貧しくなっているのかもしれません。


 主イエスは、ルカの福音書11章17節で、分断について語っておられます。「しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「どんな国でも内輪もめしたら荒れすたれ、家も内輪で争えば倒れます。」なんと現代のことを指しているようではありませんか。アメリカだけではなく、日本でも初めて女性の総理が選ばれたかと思いきや、国会では、野党と自民党は内輪もめしています。アメリカでも、もっと激しい分裂が進んでいるように思うこの頃です。


 それでは、何に私たちは頼るべきなのでしょうか。10節「主の名は堅固ややぐら。正しい人はその中に駆け込み、保護される。」頼るべきものは、富ではなく、主イエス以外にはありません。何よりもまず、神の国と神の義を求めよ。私たちが、目の前の状況に動揺せずに、まず神の義を求める者として生きることを土台にするときに、私たちは分断ではなく、主にあって一つとなり、主に保護され、平安が与えられるとこの箴言から学びました。


 さらに、22節「妻を見つける者は幸せを見つけ、主から恵みをいただく。」ちょっと耳に痛い言葉でした、昨日は自分の妻から、これをしなさい、あれもしなさいと言われて、嫌気がさしていた自分でしたが、確かに妻によって幸せを見つけていることを、思い直させてくれた一節でもありました。


祈り

 現代の混乱を極めた世、分裂の中に生きる世界の中で、富に頼らず、主イエスの堅固なやぐら、みことばに立つことができますように、そこで保護される者となりますように、また妻に感謝し、主から恵みをすでに頂いていることを忘れることがありませんように、感謝します。アーメン 

文:森 宗孝


 

『ごちそうと争い』

 

 皆さんの知り合いや、親戚の中で遺産相続に関して、親族がもめて関係をこじらせる姿を見たことはないでしょうか? 一つの家で育っていた兄弟も、家を離れて独立した家庭を持つと、心も離れてしまうのでしょうか。うちは母の遺産といっても、物質的には貧しかったのと、残された銀行預金も僅かだったので、一番経済的に困っていた姉に、母の願いもあって、何の争いもなく済みました。でもお金持ちの場合、もしくは不動産の遺産相続の場合には、親族の争いの対象になってしまいやすいのかもしれませんね。


 この1節「乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」なんとなく、自分の家は、みんなで分け合って、いつも夕食は一緒にして、ワイワイ話しながら食べていた時のことを思い出します。年がバレますが、自分の小さい頃は、実はバナナは高価な果物でした。風邪を引いた時だけ、食べさせてもらうので、なんだか風邪を引くのが待ち遠しかった思い出があります。あの頃の日本は、台湾から輸入するバナナは、高かったのでしょう。その影響か、今になって、ハワイに来て毎日のように、あきるほどバナナを食べているのです。


6節「孫たちは老人の冠。父祖たちは子らの栄え。」この頃の若者は若くして結婚する人が少なくなったのか、孫に囲まれることのない老後を迎えている夫婦がたくさんいるようです。天草の友人夫妻も、80歳半ばにして、今だに二人の子供たちには、子供がいないとこぼしていました。私たちの住むカニオヘの自宅は、二世帯住宅で、2階が私たち夫婦、一階に長女夫婦と孫娘3名が一緒に住んでいて、孫娘たちは、お腹が空くと、2階に上ってきて、白いご飯を食べたいとねだりに来るのですが、この子たちは、確かに私たち老夫婦の冠であります。さらに嬉しいことに、北カルフォルニアの次女夫婦にも三人の孫娘がいて、6名の孫娘の成長を見ることができるのは喜びです。この子たちは、たぃさんの聖書のみことばを覚えてくれていますことも感謝です。


22節「喜んでいる心は健康を良くし、打ちひしがれた霊は骨を枯らす。」たとえ、孫たちに囲まれていなくても、心の中で、一人の人を愛することによって、恵みは二倍になり、二人を愛することによって、さらに三倍と増してゆくのが、聖書の教えではないでしょうか。愛は見返りを求めません、相手から何も返って来なくとも、喜んでいる心は、自分自身の健康を良くするのです。


祈り

どうか喜ぶ心が常に与えられますように、孫たちの笑顔でさらに力を得ることに心から感謝致します。

この喜びを多くの方と分かち合うことができますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 

「人は心に計画を持つ。

 しかし、舌への答えは主から来る。」1節


「あなたのわざを主に委ねよ。

 そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」3節


 私たちは生活していくいろんな計画を持っています。その計画も神様から与えられたものだと思います。しかし、その計画が成功するかしないかもやはり、神様の御心次第であります。私たちが取るべき行動は、すべてを主に委ねていくことがキーワードとなっていきます。


 ある大きな会合がハワイで開催されることになった時に一人の姉妹は、他教会の姉妹が不思議な病気と闘っていることを知って、その姉妹に声をかけて一つのプロジェクトに参加することを勧めました。彼女は目に涙を浮かべて笑顔で参加することになりました。その時に、プロジェクトを計画した姉妹は大切なことを忘れていました。主に委ねていくことを怠ったのです。そしたら、プロジェクトを担当する上の人と行き違いがあってその姉妹が計画したことができなくなろうとしました。その時に彼女は泣いて悔い改めて祈ったそうです。そして、彼女は、すべての計画は自分ではなく主ご自身が成し遂げてくださるのだということを示されたそうです。その祈りを聞いてくださった主が、彼女のプロジェクトを成功させてくださったのです。私たちはどんなことがあってもまず主に委ねていくことです。そうすれば、主が私たちの傲慢を砕かれて謙遜な心に変えてくださり、答えをだしてくださるのは主ご自身であることを知ることができるのです。


「すべてのものを、主はご自分の目的のために造り、

 悪しき者さえ、わざわいの日のために造られた。」4節


 神様にとって無駄なものは何一つありません。私たちは愛されるために、愛するために生をあたえられました。それが主ご自身の目的であります。


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書3章16節



 天の父よ、今日の御言葉を心から感謝します。あなたから与えられた一つ一つの計画を練る前と成し遂げた時も、あなたに委ねていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



 
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