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2021年8月18日

2021年8月18日 ディボーション

マタイの福音書 14章

『5つのパンと2匹の魚 』(15~21節)

 全世界的なコロナウイルスのアウトブレイク。パンデミックが始まってから1年半が過ぎようとしている。ワクチン接種が昨年末より始まったがホノルルでの摂取率は60%。そしてワクチン接種をしてもウイルスには感染するケースが見られる。

 無症状でも感染していない訳ではない。保菌者と呼ばれるウイルス感染しても発症しない人がいる。その人々がマスクをせず外出すれば感染縮小することは出来ない。

 ワクチン接種3回目を促す話も新聞に載っていたが本末転倒である。変異株に効かないワクチンを打ってもせいぜい症状悪化を抑える程度にしかならない。またウイルスも日々進化している。やっぱり自分の免疫力を強めるのが大事だと痛感される。その為には日々何を食べてどんな生活をするのかがとても重要になってくる。それは何によって心を満たすかと言うことも同じである。

 イエス様に従った着の身着のままの群衆がいた。弟子たちは彼らを解散させてそれぞれが村村で食料を調達するようにしてはどうかとイエスに相談する。しかしイエスは「彼らが行く必要はありません」(16節)と言われた。

 弟子が人々に、自分で必要を満たすよう求めた事に対して、イエスは人々にイエスが与えてそれを受けるよう促す。それは神様から私たちに注がれる愛と同じである。私たちが受けるか、否か考えている間に、すでに無条件で主の愛は注がれている。

 5つのパンと2匹の魚をイエス様が取り、天を見上げて祈ると群衆5千人以上を満たすだけの食べ物が与えられた。パンは植物の命、キリストの命の再生の象徴。そして魚は動物の命、主なる神の御子イエス様の命の贖いの象徴。私たちはこの二つを共に受ける事によって霊的な飢え渇きが満たされる事をこの箇所から示された。どちらか一つではなく、両方受ける事によって初めて私たちの心は満たされる。

 また、この箇所は出エジプト記にある荒野で主が民を満たされる場面を思い出させる。(出エジプト16:4,12) 朝にはマナ(命の再生)、そして夕にはうずら(肉の贖い)で民を満たしてくれた。主はこのように、いつも私たちの必要を満たしてくださる。それを旧約聖書時代の出来事を忘れてしまった人々に、今を生きる私に強く、はっきりと父なる神は示して下さった。だから明日の事を恐れ悩む必要な無い。

 「私は心を尽くしてあなたを求めています。

  どうか、あなたの仰せから 私が迷い出ないようにしてください。

  私はあなたのみことばを心に蓄えます。

  あなたの前に罪ある者とならないために。」(詩篇119:10)

 愛する天のお父様。今日も私たちを満たしてくださりありがとうございます。私は食事をするとき、それがイエス様の復活と贖いによる恵みである事を覚えます。貴方の御言葉によってどうぞこれからも私を導き、養ってください。そしてどうぞ貴方の御用の為に用いてください。感謝してイエス様のお名前と共に御前にお捧げいたします。

 アーメン。

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