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2026月10月7日 マタイの福音書20章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 2分

「あなたの分を取って帰りなさい。わたしはこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」(14)


 1節から記されているこのたとえ話は、とても興味深い内容です。9時、12時、3時から働いた者、そして5時から働いた者、それぞれに同じ賃金が支払われたという話です。

 時給制ではなく日給制ということですが、それにしても長い時間を働いた者としては不公平を感じても無理はありません。

 

 私たちは、このたとえ話の中の誰に自分を重ねるでしょうか? 9時、12時、3時から働いた者たちでしょうか? もし5時からの者に自分を重ねるならば、このたとえ話から不公平感よりも、有難いと感じるのではないでしょうか?イエスにとって、どれだけ働いたかという時間の長さよりも、働いてくれたという事実が大事なのです。


 ある方が、イエスを信じて救われました。その方が信仰告白に至るまでには、ある人は10年間、その方に福音を語り祈り続けてきました。ある方は5年間、ある方は3年間。でも最後の信仰告白を導いた方は、その日に会ったばかりの人でした。その人は、その方が救われた瞬間の喜びを、10年、5年、3年の人と一緒に共有することができました。


 この時、不満を持つ人がいるでしょうか。自分の実績に焦点を当てているなら不満が募るでしょう。しかし神の働きに参与することができた、という事に焦点を当てるなら、そこには感謝しかないでしょう。

 

 これが天の御国の価値観です。比較、競争原理ではなく、お互いを尊重し合う愛の原理なのです。隣を見て比較するのではなく、天を見上げて「自分は神の御前にベストを尽くしているかどうか」が大切なのです。 

 

 

天の父なる神さま

 どうか、私たちが天の御国の価値観に生きることができますように。「同じだけ与えたい」と言ってくださる神の恵みを感謝します。私たちはあなたの御前にベストを尽くします。どうぞみ旨のままに用いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

文:関真士


 
 
 

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