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2026年9月21日 マタイの福音書4章

hccnichigo
7 時間前
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『荒野の試み』


 この4章で不思議なことは、主イエスが悪魔の試みを受ける荒野に導いたのは、御霊によって導かれたとあることです。1節「それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。」いままで、荒野での誘惑は、悪魔によって試されたように思っていたのですが、連れて行ったのは、御霊であったことが最初の驚きです。 そして、この四十日四十夜の意味する所は、実はイスラエルの民が、エジプトの奴隷から解放されて、40年間もの間、荒野で彼らの信仰が試されたことに基づいているというのです。実にイスラエルの民は、色々な誘惑に負けてしまいます。それは偶像礼拝であったり、食べ物への不平不満であったり、リーダーのモーゼたちに対する背きだけでなく、主なる神への反抗もあったのですが、それに対して、主イエスは悪魔の試みに、公然と立ち向かい、父なる神に従順であることを示された、つまりイスラエルの民ができなかった40年の荒野での試練を、踏み直して、従順さを徹底的に示されたという意味があるのです。


 話は逸れますが、悪魔にはこの世を支配する力があります、そうして聖書を隅々まで知っている知識も豊富であることが解ります。もしも、私たちが、単に奇跡の力や豊富な知識を一番重要視するならば、悪魔崇拝に陥っても不思議ではないのですが、主イエスにあって悪魔には絶対に無い物は、実は神の愛であります。ですからヨハネの手紙第一4章8節「愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。」となってゆくわけです。


 このようにして、主イエスはまず悪魔から荒野の試みを受けて、それには従わず、父なる神に従順であることを実証されたあとに、イエスの宣教が始まったのです。私たちは世の流れに押し流されながら、自分にとって何が一番重要であるか、自己中心の世界に生きていますので、主イエスの宣教は、悔い改めなさい。主なる神をまず第一として、心を尽くして愛することができるように、悔い改めて、自分の生き方の方向転換を求められました。なぜならば、私たちは、やがて神の御座で裁きを受けることになっていて、その天での審判が行われる御国が、御子イエスと共にこの世界に近づいてきたからという意味に自分は解釈しました。それが、天の御国が近づいたからという、主イエスがこの世に来られたので、神が居られる所が御国だとするなら、主の到来は、御国が来たという意味と、やがて主イエスによる主が治める世が、再臨の時に実現するのですが、その第一歩として主がこの世に来られたので、御国が近づいたという意味かもしれません。


 そうして、旧約聖書で約束されている、救い主によるあらゆる病、病気からの癒しをされ始めたのですが、本当は、主イエスとしては、単に身体の病を癒すだけでなく、心を主に向けて開く、心の目を開くことが最終目的であったのだろうと思うのです。 そこで、ガリラヤ湖の漁師、ペテロとアンデレを弟子とされたのですが、主イエスの伝道方法とは、わたしについて来なさのでしょう。きっと、彼らに頭で理解することよりも、主イエスの行いを見ながら、徐々に、自分自身の主イエスにたいする信仰を深めてゆくことを選ばれたのでしょう。人々を癒しながら、この次の5章では、天の御国とはどういうところであるかを山上の垂訓で説明されるのです。


祈り

わたしについて来なさい、と主はいまでも私たちに語りかけておられると確信しております。私たちは聖書によって、主の歩む道を学びながら、ペテロとアンデレのように、主に従う者と、徐々に学ぶ者とされていますことを、心から感謝します。主よ、心の貧しい自分を導きください。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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