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2026年7月20日 ヨハネの黙示録1章

hccnichigo
7月20日
読了時間: 4分

『七つの御霊』


 いよいよ黙示録のデボーションが始まりました。ヨハネの黙示録とありますが、実はこれは、イエス・キリストの黙示であって、ヨハネを通じて書き記されたわけですが、この黙示という原語は、例えば、彫刻作品が初めて披露される際に、布が被されていて、それまで誰も見たくても見れなかった作品が布が取り去られて披露されるという、啓示という言葉であります。ですから、神はこれから起こるべきことを、ヨハネを通じて私たちに、幻として啓示されたという事になります。


 そうして、ただ単に夢のように幻を与えたのではなく、これまで多くの旧約預言者たちを通じて与えてきた情報を、ほぼ時系列に整理して、聖書のしめくくりを私たちに与えて下さったのです。ですから、そういう意味で、旧約聖書の総まとめといっても良いかもしれません。しかし、旧約で示されていなかった、やがて訪れてくる事になっている、新天新地の詳しい紹介で終わりますが、そこに辿り着くまでの、この世の患難だけでなく、同時に天における、主イエスの喜びの婚宴も示されていることを忘れてはなりません。黙示録は、決してこの世の審判だけではないことを覚えておきましょう。


 さて、この時代に囚人が送り込まれていた、地中海の小島、パトモス島でヨハネは主イエスからの啓示を受けて、書き記したわけですが、それは再臨される主、十字架で刺された神の子羊、主からのメッセージでした。17b〜19節 主イエスは「初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。」永遠の神でおられる御子イエスから、十字架の死を目撃し、復活の主イエスにも会っていた使徒ヨハネへのメッセージでありました。


 しかし、このような神からのメッセージを聞くためには、非常に重要な要素があることを忘れてはなりません。10節「私は主の日に御霊に捕えられ」とありませすように、心が清められ、信仰によって、主の戒めに従順でなければならないのです。主のうちに生き、主のために行動し、主の存在と自分の存在が重なるところまで従ったヨハネであったから、これから起こる将来の出来事を、信じる私たちに伝えるための器として、使われることになったのです。


 そうして、まず最初に伝えられたのは、主イエスの花嫁となるべき七つの教会の姿から始まるわけです。主イエスの再臨の前兆として、これからこの世で起きることが徐々に明らかにされてゆきます、まず背教が起こり、この世は飢餓や疫病、地震が起こり苦難の時代から、反キリストの出現と次々に啓示されてゆくわけですが、その前に、この世の教会の様子が、ヨハネの時代にあった七つの教会を通じて、その教会ごとの特徴が、やがて時代ごとに変化して近代に至る教会の姿と重なって、表されてゆきます。


 この七つの教会は、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティア、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアと、それぞれに御霊が与えられている教会ですが、問題をかかえながらも祝福も同時に与えられていることは不思議なことです。この教会の地理的な位置を調べると、エペソから時計周りに

周辺にあった教会で、ここにも何らかの神の秘密が隠されているようにも思えるのです。


 そうして、この七つの教会が紹介された後に、この世に起こる患難時代には、教会の話すら出てこないことをみると、恐らく、この世に起こる大患難の時代の前に、教会や信者は携挙、天にすでに挙げられてしまったと考える説に、つまり患難前携挙説に、自分は同意しています。どうやらカソリック教会は、患難後携挙説を支持していて、教会も信者も、この世の患難を通過するので信仰を固く持っていなさいという方向に進むわけです。しかし、自分は患難前に私たちは携挙して、天において主イエスの婚宴に出席しているという、楽観的な考え方にいるわけです。どちらにしても、主イエスが再臨されることに、宗派の違いはありません。


祈り

黙示録は、初めにヨハネの主に対する独唱、アーメンで始まります。やがて御座の周りにいる四つの生き物と24人の長老たちの賛美となって、次には天使たちも、すべての部族、国民が加わる大合唱となって主イエスを讃える、宇宙大の賛美であります。どうか、私たちもその中に導かれ、主イエスへの賛美に加わりますように。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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