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2026年10月8日 マタイの福音書21章

hccnichigo
11 時間前
読了時間: 2分

『エルサレム都城』


 マタイの福音書21章は、Palm Sunday(棕欄の主日)と言われています。


 イエスは小さなロバに乗ってエルサレムへ都城しました。そして、エルサレムの中心にある神殿に行かれました。そこでは、祈りの家であるはずの神殿がものの売り買いをしている、まるで強盗の巣になってしまったのでイエスは人々を追い払われました。これがイエスの宮きよめと言われています。私たちにも当てはまることがあります。教会の礼拝堂では決して飲み食いをしてはいけないということは皆さまもよくご存知のことだと思います。礼拝堂は聖なる祈りの家だからです。


 以前に、ある教会員の家族が来られていた時に、子供が礼拝堂で平気で食べ物をしていてそばにいた大人は何も言わなかったので、それを見た姉妹が家族の一人に注意しました。その方は驚いてそばの大人に注意しました。そして、外に出て行って食したそうです。それくらい礼拝堂は私たちにとって重きのある所です。


 イエスが一本の葉だけがあるいちじくに言われたことに心が留まりました。


「それでイエスはその木に『今後いつまでも、おまえの実はならないように』と言われた。すると、たちまちいちじくの木はかれた。」21:19(抜粋)


 葉ばかり茂っていて実のならないいちじくの木をごらんになられたイエスは失望されました。なぜなら、当時の宗教家の有様を象徴していたからだと言われています。つまり、本心から神を信じないで、疑う気持ちで礼拝する者はいちじくの木のようにかれると言うことです。


 天の父なる神さま。御名をほめたたえます。祈る時は信じて祈り求めることができますように。そして、実のならない信仰者でなく、多くの実のなる信仰者へと導いて下さい。感謝してイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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