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2026年10月6日 マタイの福音書19章

hccnichigo
2 日前
読了時間: 3分

『主イエスの律法』


 主イエスは、この世の価値で判断する多くの者たちとの会話を通じて、石に書かれた律法と主イエスの律法、つまり心に書かれた律法を説明されていると思われる箇所です。16節「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」これはこの世で多くの人が考えることではないでしょうか。 良い行いによって天国に行ける、それではその、良い行いはどのようなことなのか、人助けをしたり、貧しい者への施しをして援助すれば良い行いになるのだろうか、と考えてしまうのです。


 初めに、パリサイ人から妻を離縁することが律法にかなっているのかという結婚についての質問を受けるのですが、この時代には、夫が色々な理由をつけて妻の離縁を正当なものとしていたのです、例えば手料理がまずいと理由で離縁といったこともあったようです。 結婚は神が結び合わせたもの、それを人が引き離してはなりませんと主イエスは答えられています。だれでも淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、夫自身が律法に違反している姦淫の罪を犯すことになるのです。驚くことに結婚と離婚の現代の比率を調べてみると、2023年と2024年の統計からですと、アメリカが33%であるのに対して、日本は38%となっています。


 エペソ5章31~32節「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。」私たちはついつい、自分達の結婚が教会とキリストのように、神聖であることを忘れてしまい、自分の判断と世の価値で結論をだしてしまい神聖な結婚の3分の1が崩壊してしまうのが現代の姿であります。自分自身の49年にわたる結婚生活を振り返りますと、何度か危機に見舞われていました。自分が家庭を顧みずに仕事に熱中するあまりに、妻や家族から離れてしまったことが原因ですが、不思議と、これ以上、もう夫婦としての意思疎通が切れてしまうという崖っぷちに立たされた時に、外部からの出来事、例えば会社から合併による解雇通知が来たり、もしくは子供達の問題であり、私たち夫婦が共に力を合わせないと解決できないという局面を迎えて、二人で乗り越えたという思い出があります。もしもそのような出来事がなければ、きっと自分達だけの意志では、別々の道を歩んでしまったことでしょう。しかし、これも二人揃って、主イエスを信じ、お互いに相手ではなく主イエスを仰ぎ見ることによって、かえって二人の離れてしまった距離が縮んでいったのではないかと、今になって思い起こすのです。


 主イエスの律法は、心に書かれた愛の律法であります。主なる神を愛すること、隣人を愛すること、これらはレビ記と申命記に書かれていて、旧約聖書の骨となっているわけですが、改めて主イエスは、その重要性を示されたわけです。この愛にはぐくまれますと、いつも喜びに満たされ、絶えず祈り、すべての事について感謝することができ、いつまでも信仰と希望と愛に満たされ続けることが主イエスによって与えらた生き方となるのです。


祈り

どうか主イエスの愛の律法が、すべてのクリスチャンの心に根付き、主の栄光が表されますように、教会が主イエスの花嫁として、主とひとつになって歩むように導きください。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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