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2026年10月5日 マタイの福音書18章

hccnichigo
11 分前
読了時間: 2分

『心を合わせる』


 次々に主イエスのたとえ話が紹介される章ですが、なぜにこれほどまでに主イエスは、たとえ話で群衆に話されたのか不思議に思えます。神の子として、はっきりと真理を語られれば良かったのではないか?という疑問が浮かぶのです。確かに旧約聖書の中には、例えばイザヤ書6章10節「この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目でみることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒されることもないように。」とあるように、主イエスはたとえ話をもって、イスラエルの民に語り、彼らは心で悟ることが出来ない様子が描かれていますが、弟子達には、たとえ話の解説をして神の真理を告げることもされています。


 確実な回答は、想像する以外にはありませんが、私たち世の人には全く無縁で見ることもできない、天の御国、神の国の恵み、裁き、赦しをそのまま説明しても、生の人間には理解出来ないことかもしれないい、それで、もっときっと身近な例をあげているのでしょう。そうして、神の国は、子どものように正直になり、小さい者を大切にし、迷った者を探し出す、そうして神から受けた莫大な許しを、他の者にも与えて、何度でも赦すという天の価値観を、たとえ話で表しているのだろうと思うのです。ですから、最後の35節に「あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」と御国の様子を伝えて終わるのです。


このたとえ話の中には、特に心に響いた、みことばがありました。19~20節抜粋「どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」ここにある心を一つにしてという原語は、シンフォーネ、これは交響楽団 シンフォニーに繋がる言葉ですが、楽団も音合わせをして、楽譜にしたがって演奏するわけですが、一番肝心なのは、楽団の前にタクト(指揮棒)をもって立つコンダクター(指揮者)でありましょう。彼によって、それぞれの楽器演奏のタイミングが合って、流れるような美しい音色がかもしだされるように、私たちが心を一つにして祈る時には、主イエスがコンダクターとして、異なった音色を持つ一人一人を指揮してくださるという真理に、気づきました。


祈り

主イエスが、祈りのなかにおられて私たちを指揮してくださる事に、心から感謝致します。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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