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2026年10月4日 マタイの福音書17章

hccnichigo
1 日前
読了時間: 2分

 マタイの福音書17章は、イエスさまがペテロ、ヤコブ、ヤコブの弟ヨハネの三人の弟子を連れて高い山に登られた時の変貌山の出来事が記されています。イスラエルはまだ行ったことがないですが、ある著者によりますと、イスラエルに行くと、伝統的に変貌の山と言われているのがイズラエル平野にあるタボル山になっているそうです。ちなみにタボル山は、イスラエル北部のガリラヤ地方にあるそうです。是非一度は行ってみたいと思います。


 三人の前でイエスさまの御姿が変わったのを見て、彼らは驚いて言葉にならなかったことだと思います。しかし、ここでもしゃしゃりやのペテロは自分が何かをしていこうとしています。以前にも、イエスが湖の上を歩いておられるのをみて、ペテロはイエスのお声で自分も船から出て湖の上を歩きたいとか、また、イエスが十字架について語られた時に、「そんなことはあってはなりません。」などと言いました。神の子であるイエスに向かってそういうことを口にするペテロが羨ましいと思います。イエスさまと何年も弟子として共に生活してきたペテロには、イエスへの信頼関係があったから本当の自分をありのまま出せたのだと思います。後に大きな過ちも犯しますが、悔い改めて主の前に立つことができました。


 ここでもペテロは過ちを犯しています。モーセとエリヤは神のしもべ、預言者です。しかし、イエスは神の御子です。三つの幕屋を造ることで、御子を彼らと同列にしてはならないと言うことです。


 山に行けなかった九人の弟子たちはなぜ悪霊を追い出せなかったのでしょうか。それに対してイエスは「信仰が薄いから」と言われています。さらに、「からし種ほどの信仰」があるなら山をさえ動かすことができると言われました。弟子たちは霊的信仰を怠ってしまったから悪霊を追い出すことができなかったのです。生きた信仰を持ち続けることの厳しさが問われます。


 天の父なる神さま。私たちクリスチャンが「からし種ほどの信仰」を持つことができますように、その信仰をあなたの栄光をあらわすことができますように導いて下さい。感謝しイエスさまの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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