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2026年10月3日 マタイの福音書16章

hccnichigo
2 日前
読了時間: 2分

 この章を読んで、ペテロの姿が心に残りました。


 ペテロはイエスさまに、「あなたは、生ける神の御子、キリストです。」と告白しました。心からの信仰告白だったのだと思います。


 ところが、そのすぐあとで、イエスさまがこれから苦しみを受け、殺され、そしてよみがえることを話されると、ペテロは「そんなことがあなたに起こるはずはありません。」と口にします。


 ペテロにとっては、イエスさまを心配する気持ちから出た言葉だったのかもしれません。けれどもイエスさまは、「下がれ、サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と、厳しい言葉を返されました。


 この場面を読んで、ペテロはイエスさまを信じていたのに、どうしてこのようなことを言ってしまったのだろうと考えました。ペテロはイエスさまを心配していたのだと思います。でも、その心配の中にも、こうあってほしいという自分の思いがあったのかもしれません。

 そして、私自身も同じようなところがあるのではないかと思わされました。私も仕事や人間関係の中で、相手のためを思っているつもりでも、こうしたほうがいい、こうするのが正しいと、自分の考えを握りしめてしまうことがあります。

 相手を悪くしたいわけではなく、これが一番いいと思っているからこそ、自分の考えを手放すことが難しいのだと思います。


 そんな私の心に、イエスさまの「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」という御言葉が残りました。

 「自分を捨てる」というのは、自分を大切にしないことではなく、自分の思いだけを中心にしないことなのではないかと思います。


 思い通りにしたいときこそ一度立ち止まり、相手を変えようとするのではなく、自分にできることをする。そして、どうすることもできないことは神さまに委ねる。自分の正しさを握りしめるのではなく、神さまを信頼して、一歩ずつイエスさまについていきたいです。


 愛する天のお父さま

 私は、自分の考えや思いを握りしめてしまうことがあります。どうか、自分の思いだけを中心にするのではなく、あなたの御心を求めることができますように。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 
 
 

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