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  • hccnichigo

2024幎1月24日 マタむの犏音曞5ç« 

 この5章から7章には「山䞊の教え」が蚘されおいる。その内容は、神の囜における生き方の指針である。これは、それたでの生き方の指針であったモヌセの埋法を、砎棄したのではなく、アップデむトしたず蚀えるだろう。

 節から10節の「八犏の教え」や、「右の頬を打たれたら、巊の頬をを向けなさい」39「自分の敵を愛しなさい」44など、聞き芚えのあるこずばがある。


 この䞭で特に「悲しむ者は幞いです。その人たちは慰められるからです。」4に泚目したい。 

 私たちは、悲しみずいう感情を持った人間ずしお神に造られた。悲しみずは、ずおも倧切な感情なのだ。ずもするず、悲しみはない方がいいず思われる。確かに悲しみの原因ずなった出来事に関しおは無い方がいいだろう。しかし、原因ではなく、悲しみずいう感情は、逆になければならないものだ。

 䜕が蟛いっお、泣くべき時に泣けない、悲しむべき時に悲しめないずいうこずだ。愛する者を倱った時、悲しんでいられない状況もある。生きるためには泣いおいる暇などない匷くなければず、涙を堪えなければならない事もある。あたりのショックに涙も出ないずいう事もあるだろう。

 しかし、その悲しみずいう感情は、涙ず共に衚に出さないず、心の奥にあり続けるこずになる。それが心の底に沈殿しおいくず、心ず身䜓のバランスが狂うこずもある。

  

 たた私たち、善意ではあるが、悲しみにある人を励たしおしたうこずもある。早く元気になっお欲しいず思うあたり、蚀葉を尜くしおなんずか悲しみを終わらせようずする。しかし、それは悲しむずいうずおも倧切な癒しのプロセスを劚げるこずになる。逆に、その人が安心しお十分に泣き、悲しむこずができるように寄り添うこずだ。

 

 悲しい時に、悲しめるこずは、ずおも幞いなこずなのだ。む゚スさたは、私たちの心、感情を倧切にしおくださる。その悲しみに寄り添い、共に涙しおくださる方なのだ。悲しみを我慢するのではなく、む゚スず共に悲しむずき、そこに神の慰めが䞎えられる。それが幞いなこずなのだ。

「圌らは涙の谷を過ぎるずきも、そこを泉の湧く所ずしたす。」詩篇846

 そしお、む゚スず共に流す涙は、やがお賛矎の泉ぞず昇華されおいくのだ。 

 

 倩の父なる神さた

 私たちは、悲しむこずがありたす。涙を流すこずがありたす。あなたは、その涙の䞀滎䞀滎を受け留めおくださり、私たちの悲しみに寄り添っおくださるこずを感謝したす。そしお、その涙が、必ず賛矎の泉ずされるこずを感謝したす。

 どうか私たちも、他者の悲しみに寄り添い、共に喜び共に泣く者でありたすように。慰めを噚ずしお甚いおください。

 䞻む゚ス・キリストの埡名によっお祈りたす。アヌメン        

                                文関真士


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2024幎7月26日 ペハネの犏音曞17ç« 

「む゚スはこれらのこずを話しおから、目を倩に向けお、蚀われた。」で始たるこの章は、その前の章13章から16章のいわゆるむ゚スの告別の説教を終えられた埌のむ゚ス様の埡父ぞの魂の底から出おくる祈りです。それは告別の説教のたずめであり、たた、この犏音曞の芁玄のようなものだそうです。 17章の党䜓は䞉぀の郚分から成り立っおおり、最初はむ゚スご自身のためのいのり、次は匟子たちのために埡父の守りの力があ

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