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2022年4月26日 ディボーション

ルカの福音書 20章


「要の石、尊い生ける石としてのメシア」


 主イエスがエルサレム神殿の南回廊だと思われる所で商人たちを追い出し、宮清めをされてから福音を述べ伝える時の場面がこのルカ20章にある。神殿を管理している祭司長や律法学者から次々と挑戦的な質問を受けておられる。あたかもこの場所で子羊に傷がないかどうか調べられたように、やがて捧げ物となる神の子羊イエスの純粋性を試さられた。

 主イエスの権威についての質問、復活の質問もある、税金の話でカエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさいと見事な返答をしたばかりか、これから起ころうとしている預言的な例話をあげてぶどう園の悪義な農夫たちが跡取りを殺す話などなど盛り沢山の話があげられています。

 しかしこの20章の中で特に自分の頭に残ったのは「要の石となった」17節のみことばである。エルサレムに行った経験は未だ無いが「嘆きの壁」などの写真を見ると大変大きな岩でできている宮殿であった。日本は木造建築なのであまり馴染みが薄いので「要の石」とはどのような石なのか説明を調べてみるとどうやら原語では角がある石なのです。今までは石造の建物の大きな四角の礎石をイメージしていました、それはどっしりとした石で、最初にこの石を置く事によってその上に立つ建物全体の方向や構造が決まってくる石とイメージしていたのです。しかしもう一つの解釈はKeystoneと言ってくさび石とも説明される石でこれも要の石と考えられます。説明が難しいので図を拝借しました(銘形秀則牧師より)。

 17〜18節「イエスは彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』と書いてあるのは、どういうことなのですか。だれでもこの石の上に落ちれば、粉々に砕かれ、またこの石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」

 この要の石とはメシアである主イエスのことです。そうしてユダヤ人に一度は捨てられた石となると言われるのです。確かにユダヤ人は主イエスを十字架に捨てました。しかしやがて捨てられたKeystoneである主イエスがもう一度来られてくさびとしてすっぽりとおさまる事によって神の国の玄関のアーチが完成するのです。


 話は飛びますが、アーチと言うとバクスター新約聖書概論で異邦人とユダヤ人に向けた橋のアーチ、新約聖書は主イエスが架けてくださったアーチだと言う話を思います。27巻の新約聖書は実は橋のアーチを形作っているというのです。このアーチの土台、まず新約の始めにある福音書と使徒の働きまでの5書は歴史書であり、ちょうど旧約聖書のモーゼ5書が基礎のように新約聖書の土台となっている。この土台5書の上に新約聖書が建てられています。そうして明らかにユダヤ人クリスチャンへ伸ばされている腕と異邦人クリスチャンへの腕であるアーチが2つあるという。この福音書に続く9書、ロマ書に始まりテサロニケまでは、全て異邦人伝道の使徒パウロによってキリスト教会への手紙として、橋の片側のアーチこれは異邦人クリスチャンのアーチを形作っている。そうして9書に続く4書はテモテやテトス、ピレモン宛の牧会書簡として教会の指導者に宛てられている。最後に残った9書ヘブル書からヤコブ、ペテロ、ヨハネの手紙、ユダ、黙示録はユダヤ民族特にユダヤ人クリスチャン向けに書かれている橋のもうひとつのアーチ。この二つのアーチである異邦人とユダヤ人クリスチャンを繋ぐのが、真ん中に挟まれている先ほどの4書、牧会書簡で異邦人とユダヤ人を教会は主にあってひとつという牧会書簡で繋がっていると説明されておられます。なんと美しいアーチが描かれているではありませんか。そしてこの橋の真ん中には旗があって、テモテへの手紙第一3章16節「キリストは肉において現れ、霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」と旗が掲げられている。いとも美しい橋に主イエスが向こう側におられて我々の世界に橋を架けてくださったと説明されてます。今までは渡ることが難しかったこの世から神の御国へ主イエスはみことばである聖書によって橋を架けてくださり手を伸ばされておられるのです。確かにアーチの要の石は間違いなく主イエスでおられる事に感謝いたします。



祈り

 我々の住むこの世は、災難、苦しみ、悲しみが溢れています。主イエスのおられるあの世とは大きな、超えることが出来ない崖のような隔たりがあります。しかし主イエスは聖書といういつまでも世に残るみことばの橋を架けてくださり、選ばれた民であるユダヤ人も異邦人である私たちも主によってひとつになってゆけるアーチ橋を架けて下さいました。主イエスによって我々異邦人は選ばれた民であるユダヤ民族に接木され、主を信じる者には聖書を通じてこの橋が美しく脳裏の中で輝きます。主の御手が向こう岸から伸ばされておられる姿が見えることに感謝いたします。 主イエスに栄光あれ

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