top of page
  • hccnichigo

2022年4月20日 ディボーション

ルカによる福音書14章


 中学の弁論大会で代表になった友人の原稿タイトルを思い出した。『24時間営業反対』。内容はいつでも欲しいものが手に入る利便性はあるが、それによって引き起こされる問題へ対する警告だった。当時13歳の私は忙しい共働きの両親と共に生活していたので、夜遅くまで開いているスーパーやコンビニエンスストアの登場は我が家には救世主と思っていたがそうではなかった。

 ヨーロッパ旅行に行ったときに本来あるべきの休みの意味を知った。私が訪れたジュネーブはカソリック教会が多く、日曜日はどんなお店もお休み。ホテルも最低限のサービスのみ。しかしそれは心休めて主と私の時間を半強制的に持つための時間。人間はついつい安楽な方に心奪われてしまう。私もその一人。だから半強制的に休んで、聖書を開き、主の言葉に耳を傾ける時間はとても大切だと痛感している。


 しかしどんなことにも例外はある。今朝の聖書箇所から示された。


そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」(5節)


 我が家の家族は、ご近所さんを助ける役目として用いられているようだ。先祖代々の話だから、神様は遥か昔から私の家族を見てくださっているのだと確信している。私は成人してから、行く先々で命を助ける者として用いられた。主から沢山の経験をいただき、そのタレントを用いて『困難を覚えている人を助けよ』と次々に新しい出会いがある。勿論、それには日曜日もなければ、早朝、深夜の区別はない。主が24時間、365日私たちの祈りに応えてくれるのと同じ。イエス様が、父なる神が休みなく民を助けている。その助けを少しでも担えるのであれば、それは私にとっての喜びである。しかしそれを良しとしない律法学者やパリサイ人のような人も現実の社会には存在する。

 私の心は弱い。人の意見に簡単にゆれ動いて不安になってしまう。


『The bible clearly commanded Jesus Christ, God’s only Son, as the foundation for an individual’s life. どのように、あなたの人生において、イエスが礎石になるのであろう?イエスと共にいなければ、父なる神から離れることになり、即座に罪という危機と対処しなければならなくなる。罪は人を神から退けようとする。しかしイエスが、神と私の橋渡しをしてくださる。』とPaster Jerry Flower, Huston, TX,. は説教で語っていた。



 自分の汚さ、弱さを知ったということは、キリストの聖さを知ったということ。私たちを創造された父なる神の御言葉は私たちを正し、清め、修正し、主の目に映る、本当のあなたの姿を明らかにしていく。 思い悩んだ時に『父なる神様』と信頼して聞く事ができる導き手がいる幸いに今日も感謝したい。私が御言葉を調べるのではなく、御言葉に私を調べていただき、私の心に必要を満たしていただこう。


【祈り】

『マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。』(ルカ1:38)


「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(コリント人への手紙 第二 3:18)


「私は疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。」(エレミヤ31:25)


 天の父なる神様。今日も、あなたに生かされ、心強められる幸いを感謝いたします。あなたから受ける全てを、マリアのように祈り受け取ることができるような心に私を作り替えてください。試練の直中にある時、この祈りを思い出し、あなたが私をあなたの似姿に変えてくださる途中なのだと気づくことが出来るよう導いてください。主イエスキリストのお名前とともに感謝してお捧げいたします。アーメン。


【賛美】走り続ける。作詞・作曲 中山 告。 歌 Seseragi



閲覧数:60回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年5月7日 ルカの福音書16章

『家族伝道』 目がとまったのは最後の31節「アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」これは物乞いしていたラザロと金持ちの話、よみ(ハデス)と天国(アブラハムの懐)にそれぞれが行った話です。金持ちが「お願いですから私の家族に、こんな苦しい場所に来ることがないように、ラザロを送って警告してください」と願った

2024年5月6日 ルカの福音書15章

『罪人に対する神の愛』 罪人たちを受け入れるイエスに文句を言うパリサイ人たちや律法学者たちに対し、イエスはたとえ話を話されました。それらは、いなくなった羊のたとえ、失くした銀貨のたとえ、そして放蕩息子のたとえでした。これらのたとえに共通していることは、大切なものを失った悲しみと、それを見つけた時の喜びです。イエスはこれらのたとえを通して、神がいかに罪人を愛しておられるかを示されました。 百匹の羊を

2024年5月5日 ルカの福音書14章

『お返し』 14章は神への招きと、神に従う覚悟が述べられている。私が14章で特に心にふれられたところは、12節から14節の「お返し」について述べられているところである。 「お返し」という作法は昔も今も変わらなく重要視されています。特に日本ではそうである。高価なものを頂いたからそれ相応なものをお返ししなければいけないとか、又は、以前とてもお世話になった人に対していつかは「お返し」しなければならないと

bottom of page