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2021年7月28日 ディボーション

ヨブ記 35章


あなたが正しかったとしても、神に何を与えられるのか。神は、あなたの手から何を受けられるのか。」(7節)


 全能の主なる神を畏れ敬うエリフがヨブに引き続き問いかける。

私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」(ヨブ2:10)と第2章では謙遜だったヨブ、しかし先の3人の友人から彼の信仰心を真向否定されて神に対する信仰が揺らいだヨブ。そんな彼を諌めるエリフ。彼が言うように、私たちは何を神に差し出しているのだろうか。神様は私たちに与えてばかり。神様に申し訳無い気がしてきた。


 コロナ禍にあり、ワクチン接種していた家族が感染した。ワクチンは完全ではない事の証明である。そこに人間の奢りがあったのではないだろうか。家族全員がそれまでの通常の生活を取り上げられた。そこには大きな苦難、ストレスがある。肉体的、精神的ストレス。特に当事者の家族が一番苦痛を伴う。

 しかしそんな状況にあっても私たちには救いがある。苦難の中にあっても、それは全能の神の御手の中にあり、彼の御計画の中にあり、将来の私たちの幸福のための計画であると信仰によって主の声に聞き従えること。

 困難の中で私たちは苦悩の叫びをあげる。そんな状況の中にも主の光がある。我が家の場合、誰も当事者以外感染しなかった事。当事者が重症化しなかった事。皆、それぞれ住む場所を与えられたこと。その事に感謝せずにはいられない。私たちが唯一主にお返しできることは主に感謝を表すこと。それ以外に彼に何かを与えるすべは非常に少ない。だから、どんな状況にあっても主を賛美せずにはいられない。そしてその御業を多くの人に述べ伝えたい。


「神を見られない」とあなたが言うときには、なおさらだ。しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」(14節)

 主を待ち望む時、主はすでに働いておられる。問題の解決のような目に見えるものだけが主から受けるものではない。私たちはすでに主のものとされ愛を沢山注がれている。その愛によって心強められ、癒されている。苦難を乗り越える知恵と力をすでに受けている。それに気づくか気づかないかで日々の生活は雲泥の差になる。その事に今日も気づかせて頂いた事が何よりの神様からの祝福だとこの章を通して考えさせられた。


●祈り:

主の恵ふかきことを味わいしれ。主に寄り頼む人はさいわいである。

(口語訳聖書・詩篇34:8)

 天の父なる神様。今日も私たちに必要を与えてくださりありがとうございます。空の鳥のように貴方は私たちを毎日養ってくださいます。この恵みに感謝して、今日も貴方を賛美する事から始められた心の平安を感謝いたします。

 主イエスキリストのお名前と共に御前にお捧げいたします。アーメン。


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