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2021年6月28日 ディボーション

ヨブ記5章


『言葉より祈り』


 昔、突然入院された教会の姉妹を見舞った時のことである。姉妹は、私の目にはとても元気そうに見えた。まだ歩き回ってはいけないと言われているのに、一人でトイレに行ったり、廊下を歩いたりして、「病院を抜け出す気でしょ」と私が冗談を言うと「わかる?」と冗談で返してくれるくらい、いつもと変わりない姉妹であった。

 私は、そんな姉妹を励ますつもりで、「今は休みなさいと言うことですよ」と言った瞬間、姉妹の顔は曇り、少し私を睨むように「それは、私にはもうすることはない、という意味?」と言われた。私は慌てて、「そういう意味ではなくて、次の働きのために、今は小休止しなさい、と神様は言っておられるのではないかな、という意味ですよ」と言うと、「ふ〜ん」とまた笑顔になられた。しかし、この見舞いから3ヶ月後、彼女は亡くなった。すい臓がんだった。


 人を励ます、とはとてもデリケートなことだ。励ます相手の状態や気持ちを知らずに励ませば、私のように逆効果になる。同じように、このテマン人エリファズもまた、励ましの言葉に失敗した人だ。ヨブの変わり果てた姿に驚き、嘆き悲しんだところまではよかった。しかし、ヨブが受けている悲しみや苦難は、罪に対するさばきである、と結論づけたことは間違いであった。

 悲しみや苦難が、罪のゆえに与えられるのだとしたら、私たちは生きていけない。しかし、神は苦難でさえも良いことのために用いられるお方である、と信じる信仰があるなら、その苦しみは希望に変えられる。

 ヨブは、信仰に固く立ち、忍耐し続けた。そのヨブに対するエリファズの言動は、その昔、表面的な慰めの言葉をもって姉妹を励ました私を見る思いである。神が与えた苦難に対して「なぜ」と言葉で理由付けをする前に、エリファズはヨブと共に祈るべきであった。私もまた、あの姉妹と共に祈るべきであった。


「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(マタイ18:19)


祈り:

 苦難に遭ったとき、「なぜ」と考えるのではなく、神さまを信じる心が先ず与えられますように。苦難の中にいる人に出会った時、慰めの言葉ではなく、先ず神さまを信じて、共に祈る心が与えられますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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