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2021年6 月 24 日 ディボーション

ヨブ記 1章


『誠実で直ぐな心を持つ神の子』


 2020年7月2日からスタートしたこのディボーションブログ。今月で1年になる。この1年、沢山の事を主から語られ、成長したと思う。その1年の締めくくりにふさわしい黙示録、そしてこのヨブ記が今日から始まる。もしこの書が最初に来ていたらきっと挫けてこのブログは今日まで続かなかった事だろう。そんな私に神様が準備してくれたトレーニングプログラム。感謝せずにはいられない。

 このヨブ記も難解で読者を悩ます書物の一つ。ポエムのような文章でヨブ、そして友人たちがディベートのような問答を繰り返す。そんな長い話の幕開けである。

ちなみに、このヨブ記は5巻の詩歌の書の第1巻、続くは詩篇、箴言、伝道の書、そして雅歌。一番最初に苦難の日々を語る詩歌が記された意味はその後に来る祝福と喜びを示唆しているのだろうか?神様の計画は本当に奥深い。


 どうして私ばかり困難が訪れるのだろうと思うことがある。そんな時に頭をよぎるのは、ヨブが子供達の取りなしの祈りをする時に考える事と一緒だ。


ヨブは「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。(5節)


 私も、何か神様の目に悪い行いをしたから罰として困難が降りかかるのだと考えてしまう。しかしそうでは無いという事をこのヨブ記で主は語られる。なぜなら主の目に正しいヨブが困難に遭うのだから。


主はサタンに言われた。「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上に一人もいない。」(8節)


 ヨブが生きた族長時代にはヨブ以外に主に聞き従う人はいなかった。そして、後の世にもう一人主の御子イエス様が主の人格を持ち、神の御心を行う人として私たちの前に現れて下さった。


「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(21節)

 どんな困難に遭おうともヨブやイエス様のように、自分が神様に「誠実で直ぐな心を持っている」と信じていただけるように、主の御心がなんであるかに心を傾け、困難を私に与る主を呪うことは決してあってはいけないと、このヨブの詩から学んだ。


●祈り

 天の父なる神様。今日も私の心に沢山の言葉をありがとうございます。貴方に、「誠実で直ぐな心を持つもの」と呼ばれるには程遠い弟子の一人である私ですが、貴方の御そばに行くまで決して信仰を捨てずに歩みたいです。どうぞ、私の心をヨブ、イエス様のように強めてください。イエス様のお名前によって、感謝して御前にお捧げいたします。アーメン。

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