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2021年2月3日ディボーション

Ⅱ列王記 21章


語られたこと、示されたこと:


 ヒゼキヤ王によって偶像の諸々が徹底して取り除かれたものの、彼が死んだ後に息子のマナセの時代になって、彼は主の目の前に悪をおこなった。イスラエルの王アハブがしたように、主の宮に祭壇を造り、天の万象を拝んで仕えてたり、自分の子どもに火の中を通らせたり、卜占、まじないをしたり、霊媒、口寄せと数えきれないことをおこなった。

 何がアハブをここまで神に背をむけさせたのかを考えた時に、思わせられたことは、やはり、ヤロブアムの罪がそこに尾を引いていることだった。罪の根が生きている限りは、たえずそこから芽がでてきて、そして、罪が罪を育んでいく。罪の根があるうちは、罪の繰り返しである。実に悲しいことである。でも私達は、イエス様の十字架によって罪の根を断ち切ってもらって罪から解放されて自由の身になり、それだけではなく、神の子とされた。神の家族とされた。本当に心から感謝で一杯である。旧約聖書を読んでいくたびにそのことが心に響かされることである。


 神は、とうとう宣言された。12節「わたしは、わたしのゆずりの民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となって奪い取られる。それは、彼らの先祖たちがエジプトを出た日から今日まで、わたしの目に悪であることを行って、私の怒りを引き起こしたからである。」 神の、民に対する怒りのなかには、神の悲しみもそこにあったのではないだろうか。なぜなら、神はねたむほどに民を愛しておられたから。神は、今も変わらずに私達にそういう気持ちをもっておられる方である。感謝の一言しかない。


 アハブの神への反逆で、もう一つ思わせられることは、神への対抗である。でも、これは, まさにアハブの背後で操っている悪魔の策略としか思えない。悪魔はいつの世にも人の心を惑わせて悪をおこなわせようとしている。私達を神から離そうとしている。

私達が悪魔の策略におちいらないようにするには、常に礼拝を守り、交わり、共に祈りあうことだと思う。そして、神にささげるのは、物による捧げものではなくて、詩篇51:16 で語られている 「砕かれた、悔いた心。」そのものであることを示された。


祈り:


 愛する天の父なる神様、あなたの愛に心から感謝し、私もあなたを心から愛し続けていきます。

 これからもあなたの前に、砕かれた、悔いた心をもって礼拝を捧げることができますようにお導き下さい。

 感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

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