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2020年11月22 日ディボーション

旧約聖書 サムエル記第二 7章

狭いながらも楽しい我が家


「私がイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、私の民イスラエルを牧(ぼく)せよと命じたイスラエル部族の1つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも言ったことがあっただろうか」7節


 遊牧の民であったイスラエル人がやっと約束の地に入り定住生活を始め、ダビデと言う二人目の王の元にやっと平穏な日々が訪れた。

 そんな時、ダビデは自分の立派な家に住みながら、神様には家が無いことに気づく。

ダビデの思いに対する応答は預言者ナタンに神様が語られる。

 何故、神様はダビデに直接語らず、ナタンに語ったのか?これに関しては今は掘り下げない。しかし、私達にこのような事がある時は主の教えに顧みる良いきっかけになるだろう。

 話は神様の家に戻るが、7節にもあるように、神様は一度たりとも立派な家を建ててくれ!などと民には頼んでいない。

 私が子どもだった頃、公団の狭いアパートに親子五人で暮らしていた。貧しかったが、いつでも皆の顔が見える家で楽しかった。後に一軒家に引っ越したが、家族それぞれが個室に籠るようになった。そこに家族の繋がりは薄くなった。

 主が立派な家をダビデ以前の先祖に求めなかったのは、身近に子である私達との触れ合いを楽しんでいたからでは無いだろうか?

 どんな場所でも共にいる人によって幸せか否かは決まる。主はダビデにその事を告げたかったのではないだろうか? 神様にとって立派な建物よりも子である私達と良き関係が保たれる事の方が大切だとら語られた。どんな場所にいても、そこが神様と私の家になるように、いつも神様と本音で語り合える近い関係でありたい。


祈り

 天の父なる神様。今朝も貴方と私の二人だけの時間を作って下さりありがとうございます。どんな場所でも貴方は私に語って下さいます。ありがとうございます。どこに住むかよりも、そこに貴方がいるかが大切です。貴方の御声に聴き従い、いつまでも貴方と一緒に住む事が出来るよう切に願います。イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン

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