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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『満ち足りた生涯』


 この最後の章である42章をめぐって、色々な意見があるようです。終わり良れば全て良しとする42章、ヨブの半生にもまして、ヨブの財産を結果として二倍にされたとあるのですが、これは実は後年にヨブ記に足された章ではないかというのです。

 確かに、これまでの長い長い友人たちとの論争から、あっと言う間に一転してすべて良しとなったこの結論には、疑いの目を向けたくなるわけですが、自分は聖書のことばは文字通り、受け止める主義ですから、この章もそれなりの意義があることではないかと理解するのです。


 6節でヨブの悔い改めが出ています「それで、私は自分を蔑み、悔いています。ちりと灰の中で。」これまで苦悩のあまり、主の返答がないことに怒り、自分の義を友人たちにも論議していたヨブが、全能なる主のことば、すべての被造物を造った様子を聞いて、畏れ言り、知恵を知ったのです。そして今までの自分の態度に悔い改めをしています。主なる神は高慢を嫌い、悔い改めて頭を下げる者を喜びます。主はヨブの悔い改めを喜ばれました。そこで終わっただけでなく、ヨブの友人たち三人、えりファズとビルダデとツォファルにも、因果応報といってヨブの慰めよりも、隠された罪を暴こうとした愚行に対して、ヨブに謝り、全焼のささげものをもって、自分達の罪を赦してもらうように命じられたのです。ここで注意したいのは主が仰られたことばは、エリファズと二人の友に向かって怒っておられるのですが、年少者であるエリフ、最後に語ったエリフには怒りが向けられていないことが不思議です。エリフの語ったことに真実があったからかもしれません。


10節「ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産すべて、二倍にされた。」


テモテへの手紙 第一5章17節「よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。」


 聖書には確かに二倍返しのみことばが創世記にも、申命記にも出てきます。祝福が二倍となって帰ってくることに感謝ですね。


祈り

 長く続く論争のヨブ記のデボーションが終わりました。私たちが苦悩の中でも、主が私たちを愛し、神の時をもって判断してくださる。神のなさることは、すべてにかなって美しいことに心から感謝致します。アーメン 

文:森 宗孝


 

『レビヤタンを釣る』


 いよいよヨブ記の大詰めにきております。主なる神が嵐の中からヨブに答えておられるみことばが38章から続いています。しかし、なにゆえヨブの身に災難が起こったかという点に関していえば、解決なき解決を主は与えているのです。そして、この41章に至るまで、創造主である主が、全ての被造物を、宇宙の星さえも自由にしている主のみわざを挙げながら、そのような主にヨブが、自分の災いを問いかけていること自身が主を畏れていないことであること、取るに足らない者としての自覚を促しているのでしょうか。


 さて、この41章の初めに、面白い言い回しがあるのですが、少し考えてみましょう。1節「あなたは釣り針で レビヤタンを釣り上げることができるか。輪縄でその舌を押さえつけることができるか。」4節「これが(レビヤタン)あなたと契約を結び、あなたがこれを捕らえて、永久に奴隷とすることになるだろうか。」このレビヤタンとは、「逃げ惑う蛇レビヤタンを、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。」イザヤ書27章1節で説明している蛇、サタンのことだと理解します。


 主なる神は、蛇であるサタンを釣り上げて、やがて主の日には、火と硫黄の池に投げ込まれる運命ですが、ヨハネの黙示録には20章2節「彼は、竜、すなわち、悪魔でありサタンである古い蛇を捕えて、これを千年の間締り。」と記されている。これがレビヤタンの正体ですが、それを釣り上げることができる創造主なんですよ、とヨブに諭しておられる。そして、まるで歌舞伎役者が、立ち回りで手をかざして、だれが、この創造主の前に立つことができるだろうかと問われています。


 ヨブは今まで、主に「何故こんな悲惨なことが私に起こるのですか。理由を教えて下さい、答えてください」と懇願しておりましたが、主がご自分の創造主としての力を、示す前に、ただただ畏れいることしか出来ない、今までの疑問はふっとんでいって、神の御声を経験するだけで、自分の境遇の事など問題にならない、解決を頂いて心の平安を取り戻すことができたのではないでしょうか。神自身が直接、私たちに語りかけて下さる、主イエスが私たちに聖書を通じて語りかけて下さる時に、すべてが解決し、心の平安が与えられるのです。


祈り

ヨブ記の最大の目的は、ヨブに神を示すことでありました。そして私たち人の最高の幸福は、神を見ることであります。そして、神のこと、そのものには私たち人が解らないわけですが、しかし父なる神が’私たちを愛してくださっている事を理解させてくださったヨブ記に感謝します。アーメン 

文:森 宗孝


 

 主はヨブに答えられた。

「非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それに答えよ。」


 ヨブ記40章は、38章から続いてヨブへの神の応答が述べられています。

主はいきなり最初からヨブに、問い詰められます。


「非難する者が全能者と争おうとするのか。」


 ヨブは、最初の頃はすべてを失った後にも神を呪うことをしないで、主への全き信頼を失いませんでした。しかし、三人の友人たちにヨブの苦しみは神からの罰であると言われた時、ヨブは自分が無罪であることを主張したのである。そして、友人らが自分をしつこく責めてきたので、自分の今の苦しみに不平を言い、さらには、神が不公平であると叫んだのである。つまり、友人たちのことばに聞き入ってしまったのです。そのことにたいして、神は「非難する者が全能者と争おうとするのか。」と言われているのです。


 友への励ましの言葉がいつしかそれぞれの感情がはいりこんしまって、ついには相手を非難する言葉に変わってしまうのですね。これまで三人の語ったことは確かに一理ありましたけど、彼らはヨブに対して確かなことを語らなかったのです。人が窮地におちいったときに、主にあって、私たちが確かなことを語ることって大変重要であることが示される思いです。


 そして、さらに主はヨブに問い詰められます。

「神を責める者は、それに答えよ。」


 それにたいしてヨブは、自分が、取るに足りない者であり、何にも口答えができないと述べています。これはヨブの心が全く砕かれているということです。つまり、ヨブは悔い改めへの心をもつことができたのです。


「神へのいけにえは 砕かれた霊。 

 打たれ 砕かれた心。

 神よ あなたはそれを蔑まれません。」 詩編51:17


 

愛する天の父なる神さま。

 私たちが苦難の中にある時に自分の不平、不満で心が折れてしまい、あなたに心を向けることができなくなります。どうぞそのような時には義なる道へと歩ませてください。決してあなたから離れることがないように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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