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2021年1月14日

2021年1月14日ディボーション

旧約聖書 列王記第二 1章

『イスラエルには神がいない?』
 
「主はこう言われる、『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ ゼブブに伺いを立てに遣 わしたのは、イスラエルにみことばを伺う神 がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその 寝台から降りること はない。あなたは必ず死ぬ。』」(16節)


 
●学んだ事、気付かされたこと
 
 私が交通事故に遭って死にそうになった時、どんな事を考えていた だろうか? 当時は学生 だったから多分「これでテストは受けられない から落第だ・・・どうしよう」なんて感じだったのだと思う。なんせ、その時はまだ神様を知らなかった。
 
 イスラエルの王、アハズヤは屋上の部屋の欄干から落ちて重体に陥った(1節)とある。建 物の老朽化のせいか? それとも誰かの策略で欄干が壊れるように仕掛けられていたのか? どっちにしてもこれは神様がアハズヤにくれたラストチャンスだったのではないだろうか? バアル を信仰していた彼の目を覚ます為に神様が仕組んだ御計画なのかもしれ ない。
 
 それでは私の交 通事故はどんな意味があったのだろうか? まだ分からない(笑) 。

さらに神様はエリヤを使わして、彼の目を開こうとするが 言葉では通じないらしい。痛い目 に遭わないと分からない人がいるが、彼がまさにその典型。神の人であることの証拠のように、エリヤの掛け声で、神様は天から火を降らせてアハズヤの部下、合計、百人を 焼き尽くしてしまう。(9~12節)
 
 私達の神様は恵深く、哀れみ深いお方。アハズヤを最後まで見捨てたくはなかった神様。
 
 何か大変な時、私はちゃんと神様に聴いているだろうか? 心のうちを全て明け渡しているだろうか? 違う神を選択したアハズヤでさえ助けようとしてくださる神様。すでにあなたの存在を 知っている私にど んな計画があって、なぜ現状があるのか、神様の御言葉を今日も聴きな がら 過ごしたい。
 
 それにしてもエリヤの格好、「毛ごろもを着て、腰に革の帯を締めた 人」(8節)と表現さ れていて、それを聞いた途端にエリヤだとわかった アハズヤ。ある意味エリヤは当時の歌舞伎 者の代表だったのか。洗礼 者ヨハネも同じような格好で新約聖書時代に登場する。(マタイの 福音 書3:4)  着る物によって心引き締まる時がある。サラリーマンにとって スーツが戦闘服 のように、エリヤとヨハネにとって毛ごろもは戦闘服 だったのだろう。私も主の証人として主 の目に叶う立ち振る舞いで、 主を知らない人に伝道したい。
 
●祈り
 
 天の父なる神様。今日も沢山の気づきをありがとうございます。今 日もあなたは私に沢山の 恵をくださいました。ありがとうございます。エリヤのような神の人の言葉を聞かなくても、 イエス様を通して 私達の心に直接あなたが語ってくださる恵を心から感謝いたします。この小さな祈りと感謝をイエス様の御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

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