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2026月9月30日 マタイの福音書13章

hccnichigo
9月30日
読了時間: 2分

「耳のある者は、聞きなさい」(9、43)


 イエスは、たとえ話をされる。

 それは分かり易くするためなのか。分かりにくくするためなのか? 種まき、毒麦、からし種、パン種、畑に隠された宝、これらのたとえ話は、当時の人々にとって日常生活の中にある光景である。その意味では、分かり易いと言える。

 しかし種がみことばであり、畑が世界で、良い麦は御国の子らで毒麦は悪い者の子ら、という、たとえの意味は分かりにくい。


 分かり易いのか、分かりにくいのか、それを説く鍵が「耳のある者は、聞きなさい」というイエスの言葉である。

 つまり聞こうとする意志を持っているかということだ。自分は知っている、分かっている、教えられる必要などない、と思っている人は「聞く耳」を持たない。「聞く耳」を持っている人とは、知りたい、分かりたい、教えられたいと思っている人のことだ。

 その点、パリサイ人、律法学者は「聞く耳」を持っていなかった。それに対して、彼らから無学だと見なされていた者たちは、逆に「聞く耳」を持っていたことになる。


 私は「聞く耳」を持っているだろうか。口は一つ、耳は二つある。それは、聞くことは話すことより2倍大切だということだ。

 それにしても、「聞く」ということは難しい。その言葉にもよるが、厳しいことば、分かっていること、あるいは自分を傷つけることば… ことばにも色々ある。その中で、本当に自分が聞くべきことばを聞き分けていきたい。聞きたいことばではなく、聞く必要のあることばに耳を開く者でありたい。

 

 そして何より、神のことばに対して、いつも「聞く耳」のある者でありたいと心から願う。

 

天の父なる神さま

 どうか、私の耳を開いてください。聞くべきこと、あなたが私に語っていることばを一言も聞き洩らすことがありませんように。そして、そのことばの意味を悟り、従う者にしてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

文:関真士


 
 
 

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