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2026年9月24日 マタイの福音書7章

hccnichigo
9月24日
読了時間: 2分

 マタイの福音書7章は「山上の垂訓」の最後の部分である。6章に続いて、天の御国の生活態度を教えています。


 1節から厳しい言葉で語られています。

「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。」7:1


 当時の宗教的指導者は、律法を守らない人々をさばいていました。それは、自分の目にある梁にはきづかないで、兄弟の目にあるちりを指摘するようなものでした。私たちにも言えることです。この世では、人と人との関係で生きています。自分ではさばいてないと思っていても、私たちの態度が知らないうちに相手をさばいてしまっていることに多々に感じることがあります。自分も罪人であることを決して忘れてはいけないことが示される思いです。さばくことができるおかたは、ただ神のみだけです。


 7節の聖句はとてもよく引用されるものです。

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」7:7                 


 よく多くの牧師が語られることは、どんなことでも祈り求めなさい。だが、たとえ祈り求めても、それが自分の益のためだと神はそれを与えられません。神のみ心にかなうように心から祈らなければ与えられないと言うことです。自分が人からしてもらいたいことは、私たちも同じように人にしなさいということです。


 次に天の御国に入る者について述べられています。

 21節で語っています。「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」「父のみこころを行う者」とは、どういう人のことを言うのでしょうか。それは、天の御国の戸をたたき続ける人、良い実を結ばせてくださる天の父のみことばを信頼する人、天の父のことばを聞いて、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。

 

 天の父よ。どうぞ私たちも人をさばかず、探し求めて、御国の戸をたたき続け、あなたのみことばに信頼していくことができますように導いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン   


 
 
 

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