top of page

2026年9月23日 マタイの福音書6章

hccnichigo
9月23日
読了時間: 2分

 この章では山上の垂訓の一部として イエス様が弟子たちに「天の父に見られる行い」について教える章とあります。


 一節からいきなり、施しは人前で行わず、隠れた行いとして行うべきという教えから始まり、見せびらかす善行の禁止を唱えています。そして次に祈りの教えに続きます。祈る時はしずかに  神に祈ることが進められます。

 更に「父なる神よ…」という祈りのモデル (主の祈り)を教えてくれます。


 次に断食の教えになりますが、顔を洗い、頭に油ぬり、顔を見苦しくしないようにとあります。そして次に富の蓄えと心の方向について、地上の富ではなく天の富も積むように説き「宝のあるところに心もある」とあります。

 目はぜんしんの光であり、心の状態が、全身に影響すると教えます。神と富に同時に仕えることは出来ず、神を第一に選ぶべきです。


 食や衣、命の心配に備えず、神の国と義を求めれば加えられると、明日のことは明日に備えるように教えられます。心配の禁止をされています。信仰の実践において偽善を避けること、神の国を第一にすることが、この6章の教えではないでしょうか。ここの学びでもそうですが、今日の私の信仰の在り方に大いに学ぶことがありました。



祈り

天の父なる神様

今日の学びと素晴らしい教えに感謝いたします。

ここでの教えは 正しく私に語っているものだと思いました。私は度々、食、衣、明日のことを考えてしまいます。

神様に目や心が向いていません。どうかこのような私をお許しください。私の目と心があなた様に向くようにこの私を導いてください。

この祈りをイエスキリストの御名前によりお祈りいたします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年10月8日 マタイの福音書21章

『エルサレム都城』  マタイの福音書21章は、Palm Sunday(棕欄の主日)と言われています。  イエスは小さなロバに乗ってエルサレムへ都城しました。そして、エルサレムの中心にある神殿に行かれました。そこでは、祈りの家であるはずの神殿がものの売り買いをしている、まるで強盗の巣になってしまったのでイエスは人々を追い払われました。これがイエスの宮きよめと言われています。私たちにも当てはまることが

 
 
 
2026月10月7日 マタイの福音書20章

「あなたの分を取って帰りなさい。わたしはこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。」(14)  1節から記されているこのたとえ話は、とても興味深い内容です。9時、12時、3時から働いた者、そして5時から働いた者、それぞれに同じ賃金が支払われたという話です。  時給制ではなく日給制ということですが、それにしても長い時間を働いた者としては不公平を感じても無理はありません。    私たちは、この

 
 
 
2026年10月6日 マタイの福音書19章

『主イエスの律法』  主イエスは、この世の価値で判断する多くの者たちとの会話を通じて、石に書かれた律法と主イエスの律法、つまり心に書かれた律法を説明されていると思われる箇所です。16節「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」これはこの世で多くの人が考えることではないでしょうか。 良い行いによって天国に行ける、それではその、良い行いはどのようなことなのか、人助け

 
 
 

コメント


bottom of page