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2026年9月20日 マタイの福音書3章

hccnichigo
9月20日
読了時間: 2分

 イエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられる様子に心が動かされました。バプテスマのヨハネはメシアの前に遣わされる預言者として特別な存在でした。旧約時代の最後の預言者であり、新しい時代への橋渡しをする人でした。バプテスマのヨハネは説教者にとって素晴らしい模範だと言われています。バプテスマが罪と汚れを洗い流すことであるなら、神の子であるイエス様は受ける必要がなかったのです。しかし、なぜ、あえてバプテスマを受けられたのか。それは、ご自分が罪あるわたくしたち人間と等しい立場になるためです。それがイエス様が地上に来られた目的だったのです。

 あの主なるイエス様がヨハネからバプテスマを受けられるなんて大変なことです。ヨハネはどんなに感慨深かったことかと思わされます。しヨハネはそうさせまいと、自分こそあなたからバプテスマを受ける必要があることを言いました。ヨハネのキリストに対するへりくだった態度、謙遜さがうかがわれます。だが、イエス様はそれを否定されて15節で答えられた。

 しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。

 イエスがバプテスマを受けられると、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」17節

 私たちがバプテスマを受ける時には天上において主なる神がきっと、「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」と言われておられるでしょう。


 天の父よ。イエス様をこの地上に罪深い私たちと同じようになるために降らせてくださり、そして、私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられたことを心から感謝します。どうぞこの無償の愛をいつも心に抱いて人々に伝えることができますように私たちを用いて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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