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2026年9月15日 ミカ書5章

hccnichigo
9月15日
読了時間: 3分

『ベツレヘム預言』


 この5章のベツレヘムの預言のことばが、マタイ2:4で引用されています。これはイエスの誕生を祝うために東の方から博士たちがやって来た時に、ヘロデ王は、この救い主キリストはどこで生まれるかと調べさせた時に、それはユダヤのベツレヘムですと、このミカ書での預言を示した箇所です。この救い主はユダ族のダビデの子孫で、ダビデの町で産まれることが預言されていたのですが、主イエスが、普通であれば、両親の住むナザレで出産のはずか、このエルサレムの隣町、ベツレヘムでお産まれるようになった経緯を見ると、ローマ皇帝アウグストゥスの帝国の人口を正確に把握しようとした、住民登録の勅令の結果によって、イエスがベツレヘムでお産まれになるということ自体に神のみわざを見るように思います。


 ハワイの義理の息子の中学校からの友人の名前が珍しい聖書からの名前で、Micah(マイカ)君というのですが、日本語聖書ではこれをミカ、もともとのヘブル語では、ミーカーイェフーといって、誰が主のような方なのか、という意味だそうです。ですから、それはベツレヘムで産まれる予定の救い主であると、主イエスより約700年前の預言者ミカが、ここで伝えているのでした。旧約聖書の預言書を学べば学ぶほど、その預言が確かに成就していることが理解します。ですから、まだ実現していない預言、これから将来に向かって起こる、主の日、主イエスの再臨の預言も必ず成就すると確信することができるのです。ベツレヘム産まれの主イエスは、もう一度、この次はオリーブ山から天に上ったときのように、必ず戻って来られます。


 預言者ミカは、1章から3章までは、イスラエルとユダに対する差し迫った裁きを預言していたのですが、4章と5章になると、今度はこれら神の審判に続く、祝福の約束と変わっています。ユダヤの民には、神の裁きが下されますが、その回復が、ベツレヘム出身の救い主によってもたらされる。そうして13節「わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち切る。あなたはもう、自分の手で造った物を拝まない。」このように、やがてユダヤの民は、アッシリアとさらにバビロンによって捕囚されて、エルサレム神殿は破壊されてしまうのですが、捕囚から解放されたユダヤの民は、その後決して、偶像礼拝を行うことはしませんでした。この預言にある通りになってゆくのです。


祈り

「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることはありません。」ルカ23:34

 確かに、主の発したことばはかならず実現することを、預言書を通じて学びましたことに感謝いたします。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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