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2026年8月3日 ヨハネの黙示録15章

hccnichigo
8月3日
読了時間: 3分

『神の憤り』


 どこの教会においても、どうしても私たちが強調するのは、神の愛となって、あたかも迷える子羊を胸に抱いている主イエスの姿を伝えることに集中しすぎているような気がします。確かに神は愛です、しかし同時に神は義なるお方で、神が聖であるがために、罪をそのまま、放っておいて赦してあげることはできない、義であり、聖なるお方であることも忘れてはいけません。


 私たちが福音に本当にすがるように、全身をかけて求めることになるためには、穏やかな愛の光ではなくて、実は福音を地獄の炎で見ることが求められているのではないでしょうか。旧約聖書には、父なる神が、いかに畏れ多いお方か、名前すらお呼びすることもできない、申命記4:24「あなたの神、主は焼きつくす火、ねたむ神である。」とありますが、御子が初めてこの世に送られて来られた時は、確かに神の子羊として、私たちの罪の贖い、捧げ物として来られて、神の愛をこの世に示されたので、迷える子羊を抱く主イエスで間違いはありませんが、再臨の時に、罪がおおうこの地におみえになる主イエスは、焼きつくす火、炎となって、いつまでも続く、自己中心、救いの御腕である主イエスをこの地に送られたのに、信じることができずに、神に背き続け、自分の欲、偶像礼拝に陥っている者たちに裁きを下すことになるのです。


 ですから、私たちは、やがて神の御座の前で裁きの座につくことも伝えなければならないのです。ヘブル書9章27節「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」このように、死後の神の裁きを、正面から見据えて語ることも重要であると思うのです。キリスト教以外の宗教でも、死後の裁きを示しております。そして、キリスト教以外では、その裁きの時のために、この世において、良い行いをしなさい、聖なる者となるよう努力しなさいとなるのに対して、私たちは’、自分の力ではなく、すでに御子イエスが私たちの罪を購ってくださったこと、そうして、私たちには永遠の命が約束されていることを信じて、主イエスのみことばに従いなさいとなる違いがあるわけです。


 今、10月中旬か11月の訪日を準備しているのですが、それは横浜の義兄(87歳)が肝臓癌なので、そのお見舞いに行くのです、今の所、彼には食欲もあり、日常生活に支障はないのですが、心の不安は高まるばかりなのです。彼は長い間、社会部の新聞記者を勤め上げている中で、異端宗教の取材などを通じて、宗教そのものが、人間を洗脳してしまう実情を目の当たりにしているので、仏教であろうが、キリスト教であろうが、不信感いっぱいで、人間は死んだら無となるという考えなのです。しかし、心の不安は高まるばかりという状況です。自分達の言葉で彼が心変わりをするとはとても考えられませんが、神のことばには力があることを信じて、心をこめて、主の話ができるように、ぜひ皆さんにもお祈り下さい。


 この黙示録15章では、ついに神の憤りに満ちた金の鉢が、この世に注がれることになることが描かれています。神は、人が肉欲に従って、歩む姿に心を痛めておられました、そうして彼らへの裁きは、その肉欲のままに生きることがやがて自分自身の破滅にいたることを止めずにいることが、裁きであったのでしょう。しかし、ついに罪が裁かれる日が来たのです。


祈り

父なる神の憤りがやがて、この地に注がれてしまいます。どうか1日でも早く、私の日本の家族が、主イエスを信じる者となることができますように、神の力、神の知恵をお与えください。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

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