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2026年8月23日 ホセア書13章

hccnichigo
8月23日
読了時間: 2分

 エフライムの罪が指摘されていて、彼の最後の時が記されています。兄弟たちの中で栄えた彼は、たった一つの罪、偶像崇拝・バアル崇拝によって最後を閉じることになりました。神以外のものを神として拝むことは罪でありそれは死にあたいするからです。決して赦されないことです。


 かつてのエフライムは、主の権威を認めて恐れ慎んで生きていたとき、主はあがめられていました。しかし、銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造ったのです。そして、それを礼拝して口づけするようになったときに、彼らは朝もやのように消え去っていきました。


「このわたしは荒野で、干ばつの地であなたを知っていた。」5節


「しかし牧草で満腹したとき、彼らは満ち足り、心は高ぶり、そうしてわたしを忘れ   た。」6節


 出エジブトからの救いは主であることを、イスラエルの民は知っていました。主もまた荒野での民の事を知っておられました。しかし、約束の地で満ち足りてしまうと、高慢になり主を忘れてしまって、主を王と認めずに人間の王を求めたのである。私たちにも陥りやすいことではないでしょうか。何を第一に優先して行くかが問われます。


 14節のみことばが心に留まりました。


 「わたしはよみの力から彼らを贖い出し、死から彼らを贖う。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。よみよ、おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。」14節


 これは、神の御子であるキリストが身代わりになって贖ってくださったことであり、死を滅ぼして復活されたことです。そして、死はそのとげで人間を脅かすことができなくなったと解釈されています。


 天の父よ。私たちを死のとげの恐れから解放してくださってありがとうございます。すべては御子イエスが私たちのために死んで復活されたからです。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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