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2026年6月21日 エゼキエル書40章

hccnichigo
6月21日
読了時間: 2分

『新しいエルサレム神殿の幻の描写』


 とてもスルーしたくなるようなエゼキエル40章である。建築家にとっては興味をそそられるだろうかと思わされます。主なる神はなぜこのような複雑な設計図を民に示されたのでしょうか。それは、捕囚の民に希望を与えるためだったのです。その希望とは、神殿は破壊されても、いつの日か主の臨在される神殿を再建するという思いを彼らに授けるためでした。


 これまで預言者エゼキエルに示された幻は、神のさばきを赤裸々に示すものでした。都が破壊され神殿から神の栄光が去ることを預言しました。そして、預言の通りに都も神殿も破壊され、瓦礫となったのです。


 しかし、神は、再び新しい神殿を建てることをエゼキエルに幻で示されます。それは彼が捕囚となって二十五年目の年の初め、その月の十日、都が占領されてから十四年目(紀元前573年)のことでした。神殿の再建は、神によるイスラエルの民の再生を意味しているということです。神殿は、神を礼拝する為にあります。私たちが聖霊に満たされて、神の臨在に触れる場所です。礼拝を回復し、礼拝を大事にするという気持ちにさせられます。


 神は、堕落した民の罪を赦し、約束の地に神の民を連れ戻してくださいます。民は何度も罪をおかしてきました。神はその都度彼らに罪のさばきを与えられましたが、常に罪の赦しも備えてくださっていたのです。神は、それほどまでに民を愛してくださっていたのです。


「それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。』」ヤコブの手紙4:5


 愛する天の父なる神様。私たちが行う全てのことは、あなたの御手の中にあります。あなたをいつも自分の前におくことができる信仰の道に歩ませてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

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